マノー・マルシャ:F1オーストリアGP 初日のコメント

2015年6月20日
マノー・マルシャ F1オーストリアGP
マノー・マルシャは、F1オーストリアGP初日のフリー走行で、ウィル・スティーブンスが19番手タイム、ロベルト・メルヒが20番手タイムだった。

ウィル・スティーブンス (19番手)
「全体的に良い週末のスタートが切れたし、かなりポジティブに感じている。今日はプログラム面で良い作業ができたし、周りのクルマに対して、ここではロングランとショートランンのペースが良いように思う」

マクラーレンとホンダ、マノー・マルシャへのエンジン供給の噂を否定

2015年6月17日
マノー・マルシャ
マクラーレンとホンダは、2016年からマノー・マルシャがホンダからパワーユニットの供給を受けるとの推測を一蹴した。

今年F1復帰を果たしたホンダは、初年度はマクラーレンに集中することを決定しているが、F1プロジェクト総責任者の新井康久は将来的にカスタマーを迎えることにオープンな姿勢を示していた。

ホンダ、マノー・マルシャにF1パワーユニットを供給?

2015年6月16日
ホンダ マノー・マルシャ
ホンダのカスタマー第1号として、マノー・マルシャの名前が挙がっている。

2015年にF1復帰を果たしたホンダは、初年度にはワークスパートナーのマクラーレンに集中することを決めている。しかし、F1プロジェクト総責任者の新井康久は2016年にカスタマーを迎えることに対してはオープンな姿勢を示している。

マノー・マルシャ、2015年F1マシンの投入計画を中止?

2015年6月12日
マノー・マルシャ
マノー・マルシャは、2015年F1マシンを投入するという計画の中止を検討しているようだ。

現在、マノー・マルシャは、マルシャの2014年マシンを2015年の規約に合わせて改良したマシンで参戦しているが、以前、夏休み後には完全な新車を投入させる意向であることを発表していた。

しかし、Speed Week によると、現在のマシンで楽に予選107%ルールを突破できていることで、マノー・マルシャは、2016年シーズンに焦点を移行するべきではないかと考えているという。

マノー・マルシャ:ウィル・スティーブンスが完走 / F1カナダGP

2015年6月8日
マノー・マルシャ
マノー・マルシャは、F1カナダGPの決勝レースで、ウィル・スティーブンスが17位、ロベルト・メルヒはリタイアだった。

ウィル・スティーブンス(17位)
「良いスタートを切って、とても強いレースをしていた。ピットストップで左フロントに問題があってかなり時間をロスしたけど、それでもチームメイトの前に出ることができた。その後のレースは1ストップの計画に沿って進んでいたけど、50周目にグロージャンにぶつけられた」

マノー・マルシャ: F1カナダGP 予選コメント

2015年6月7日
マノー・マルシャ F1カナダGP 予選
マノー・マルシャは、F1カナダGPの予選で、ロベルト・メルヒが18番手、ウィル・スティーブンスが19番手だった。

ロベルト・メルヒ (18番手)
「今日の予選にはとても満足している。僕にとって良い前進だ。このサーキットを本当に楽しんでいるし、僕たちはこの過去数レースでクルマのセットアップ面で良い進歩を果たしている。もう少しプッシュすることをとても快適に感じている」

マノー・マルシャ:F1カナダGP 初日のコメント

2015年6月6日
マノー・マルシャ
マノー・マルシャは、F1カナダGP初日のフリー走行で、ロベルト・メルヒが19番手タイム、ウィル・スティーブンスが20番手タイムだった。

ロベルト・メルヒ (19番手)
「今日はこのトラックでの走行を本当に楽しめたし、雨が降って時間を失ってしまったのは残念だ。ドライ状態ではプログラムを進めながらプッシュできたし、今日の出来や進歩にはとても満足している」

ファビオ・ライマー、マノー・マルシャのリザーブドライバーに就任

2015年6月3日
ファビオ・ライマー
マノー・マルシャは、2015年シーズンのリザーブドライバーとして、ファビオ・ライマーと契約したことを発表した。

スイス出身であるファビオ・ライマー(26歳)は、2013年にGP2のチャンピオンに輝いている。

ファビオ・ライマーは、選ばれたレースでチームに帯同し、開発プログラムを助けるためにドライバーやエンジニアと密接に連携するという。

ボブ・ベル、マノー・マルシャに加入

2015年6月2日
ボブ・ベル
マノー・マルシャ、チームマネージャーやエンジニアとして経験豊富なボブ・ベルとの契約を発表した。

ボブ・ベルは、1年前にメルセデスのテクニカルディレクターを辞任。昨年11月に正式にチームを脱退していた。

ボブ・ベルは、ルノー所属時の2008年に“クラッシュゲート”事件を受け、翌年、チーム代表を務めたことがある。
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