マノー・マルシャの2台にレース出走許可 / F1マレーシアGP
2015年3月28日
![マノー・マルシャ](https://f1-gate.com/media/2015/20150328-manor.jpg)
マノー・マルシャは、ロベルト・メルヒが予選Q1で107%タイムに0.4秒足りず、ウィル・スティーブンスは燃料システムの問題で走ることができなかった。
マノー・マルシャ:107%タイムに到達できず / F1マレーシアGP 予選
2015年3月28日
![マノー・マルシャ F1マレーシアGP 予選](https://f1-gate.com/media/2015/20150328-manor-marussia.jpg)
ロベルト・メルヒ
「今日は107%タイムを突破できることを願っていたし、そのために週末を通してプッシュしていた。残念ながら、最終的にコンマ4秒届かなかった」
マノー・マルシャ:F1マレーシアGP 初日のコメント
2015年3月27日
![マノー・マルシャ](https://f1-gate.com/media/2015/20150327-manor-marussia.jpg)
ウィル・スティーブンス (19番手)
「F1カーに戻って、レースのビジネスの第一歩を踏み出すことができて本当に嬉しい。今日は計画していたプログラムをとてもスムーズに進めることができたし、とりわけ両方のセッションのタイムが107%以内だったことに満足している」
マノー・マルシャ、マレーシアのガレージでエンジンを初始動
2015年3月27日
![マノー・マルシャ](https://f1-gate.com/media/2015/20150327-manor.jpg)
マノー・マrシャは、開幕戦のオーストラリアまで移動したが、多数のソフトウェアトラブルが発生してフェラーリのパワーユニットを始動するすることができず、一度もガレージを出ることができなかった。
しかし、F1マレーシアGP初日の走行を前に、マノー・マルシャのマシンに初めて火が入れられた。
マノー・マルシャ 「ここにいるのはジュール・ビアンキのおかげ」
2015年3月20日
![マノー・マルシャ](https://f1-gate.com/media/2015/20150320-manor.jpg)
マノー・マルシャが崩壊の危機を逃れて再生を果たしたのは、2014年の5月にジュール・ビアンキが貴重なチャンピオンシップポイントを2ポイント獲得してくれたからだとジョン・ブースは述べた。チームは、そのポイントによりコンストラクターズ選手権を9位で終え、2015年に大きな賞金を約束された。
バーニー・エクレストン、マノー・マルシャに機材輸送費を請求へ
2015年3月17日
![マノー・マルシャ](https://f1-gate.com/media/2015/20150317-manormarussia.jpg)
3回のフリー走行と予選のいずれでも走行しなかったマノー・マルシャは、実際には開幕戦で走る気がなかったのではないかとの疑いが持たれており、FIAに説明を求められたが、お咎めなしという判断が下されている。
ロベルト・メルヒ、次戦マレーシアGPでのF1シート維持を願う
2015年3月16日
![ロベルト・メルヒ](https://f1-gate.com/media/2015/20150316-merhi.jpg)
スペイン出身のロベルト・メルヒは、復活を遂げた元マルシャのレースドライバーに選ばれたが、準備作業に追われたチームがメルボルンのトラックにマシンを送り出すことはできなかった。
ロベルト・メルヒと同名の父は、メルボルンで「ここに来るために私たちはお金を払ってはいない」と述べた。
FIA、予選不参加のマノー・マルシャに事情聴取
2015年3月14日
![FIA、予選不参加のマノー・マルシャに事情聴取](https://f1-gate.com/media/1/20200623-manor.jpg)
昨季終盤、財政難によってチーム破綻に直面したチームだが、新たな投資家を見つけ、マノー・マルシャはなんとかメルボルンに乗り込んだ。
しかし、管財人の管理に置かれている際に売却に向けてコンピューターのデータを全て消去されており、ソフトウェアをゼロから準備しなければならなかった。
マノー・マルシャ:F1オーストラリアGP 予選後のコメント
2015年3月14日
![マノー・マルシャ](https://f1-gate.com/media/2015/20150314-manormarussia.jpg)
ジョン・ブース (チーム代表)
「我々は信じられないくらい短時間でこのような長い距離をやってきたので、予選を参加できなかったことにはもちろん非常に失望している。このような状況では常に希望の兆しに目を向けなければならないし、我々は一体となって働き、非常にチャレンジングな問題を解決してきた。その経験はここから前進するために役立っていく」