ヒスパニア・レーシング、カルン・チャンドックを契約違反で告訴か

2011年1月11日
カルン・チャンドック
ヒスパニア・レーシングが、カルン・チャンドックを契約違反で告訴するかもしれないとインドのメディアが報じている。

今週、ヒスパニア・レーシングのチーム代表コリン・コレスは、チャンドックが「契約義務を果たさなかった」ため2010年途中で解雇になったと The Sun に語っていた。

デレック・ガードナー(元ティレルのデザイナー)が逝去

2011年1月11日
ティレル P34 デレック・ガードナー
1970年代のティレルのタイトル獲得に貢献し、有名な6輪マシンを設計したデレック・ガードナが亡くなった。享年79歳。

デレック・ガードナーは、1969年にマトラで4輪駆動システムを開発するハリー・ファーガソンに協力することでF1との関わりを持った。

1970年にティレルに加入したデレック・ガードナーは、彼のガレージでティレル001を設計。ティレル001は、デビューレースとなったカナダGPでジャッキー・スチュワートがポールポジションを獲得した。

FOTA、ヒスパニア・レーシングの会費未払いを認める

2011年1月11日
ヒスパニア・レーシング FOTA
ヒスパニア・レーシングは、昨年の会費を支払わなかったためFOTAを去ることになったようだ。

ヒスパニア・レーシングの広報は、FOTAが「小規模チームよりも大規模チームを優先しているため」FOTAから脱退することに決定と主張していた。

「我々の利益にとっては、そこにいても意味がない」と広報は述べていた。

ウィリアムズ FW33、初走行はルーベンス・バリチェロが担当

2011年1月11日
ウィリアムズ FW33
ウィリアムズは、2月1日のバレンシアテストでルーベンス・バリチェロがF33の初走行を行うことを明らかにした。

ウィリアムズのスポークスウーマンは、初日の走行をルーベンス・バリチェロが担当し、2日目の途中から新しいチームメイトのパストール・マルドナドが引き継ぐことを f1today.nl に明らかにした。

ヒスパニア・レーシング、2011年F1マシンはF110の改良版

2011年1月11日
ヒスパニア・レーシング
ナレイン・カーティケヤンは、ヒスパニア・レーシングが2011年に完全な新車を走らせるわけではないことを認めた。

ヒスパニア・レーシングは、2010年マシンを設計したダラーラと決別。2011年にむけたトヨタとの提携も失敗に終わった。

ヒスパニア・レーシングは、来月のバレンシアテストをF110でスタートすることが明らかになっているが、インドの通信社 PTIによると実際に2011年を戦うマシンもF110の“アップグレード版”だという。

チーム・ロータス、2011年の初テストで新車を投入

2011年1月11日
チーム・ロータス
チーム・ロータスのスポークスマンは、2011年F1マシンをバレンシアで行われる1回目の合同テストで投入するが、正式的な発表会は予定していないと述べた。

先週ヒンガムのファクトリーを訪れたチームオーナーのトニー・フェルナンデスは、2011年マシンが「素晴らしい見た目」であり、昨年マシンよりも「洗練されている」と述べたが、チーム・ロータスが「従来の発表会は行わない」予定であることを明らかにした。

キミ・ライコネン、2011年もシトロエンからWRC参戦へ

2011年1月11日
キミ・ライコネン
キミ・ライコネンが、シトロエンからWRC開幕戦ラリー・スウェーデンへの参戦を申請したことが明らかになった。

キミ・ライコネンは、2011年には2011年シトロエンDS3 WRCで参戦することに同意したと報じられたが、契約は正式発表されていない。

正式発表がないことでライコネンの将来には引退を含め様々な噂がなされてきたが、最終期日前にシトロエンからの参戦を申請したことで2011年もWRCに参戦することがより明白になった。

ローマ市長 「F1にとって重要なのはモンツァ」

2011年1月10日
ローマ市長 ジャンニ・アレマンノ
ローマのジャンニ・アレマンノ市長は、イタリア首都でのF1のストリートレース計画を条件付きでのみ支援すると誓った。

レース主催者のマウリツィオ・フラミニによるローマでのF1計画は、1国1レースを主張するフェラーリを含めたEUR地区から強く反対されている。

ジャンニ・アレマンノ市長は、それが真実であればF1でイタリアを代表するべきなのはローマではなくイタリアだと述べた。

ヒスパニア・レーシング、2つ目のシートを獲得するのは?

2011年1月10日
ヒスパニア・レーシング
ヒスパニア・レーシングの2011年の2つ目のシートに複数のドライバーが候補としてあげられている。

ヒスパニア・レーシングは、2011年の1人目のドライバーとしてナレイン・カーティケヤンと契約。報じられたところではカーティケヤンは、インドの自動車メーカーであるタタを含め800万ドル(約6億6,500万円)のスポンサー資金を持ち込んだとされている。
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