F1がV8回帰で得るかもしれない利益とは? FIA会長スライエムの構想
F1が再び自然吸気エンジンに回帰する可能性が、今、静かに議論され始めている。

FIA(国際自動車連盟)会長モハメド・ビン・スライエムは、次世代パワーユニットにV8エンジンの導入を検討すべきだと提言しており、この動きがF1にとって思いがけない追い風となる可能性がある。

EV万能論からの揺り戻し
自動車業界では長らく「完全電動化」が潮流とされてきたが、最近ではその勢いに陰りも見え始めている。高額な価格、充電インフラの未整備、そして一部消費者の心理的な抵抗感──こうした要因が、内燃機関の再評価を促しているのだ。とりわけ欧州では、中国から流入する安価なEVに対抗する術を模索する中で、従来型エンジンへの依存を完全に断ち切ることのリスクも再認識されつつある。

この潮流の中、F1が持つ象徴的な意味合いも変化しようとしている。現行レギュレーションでは2026年から電動化と内燃比率を50:50に設定するが、これはチームやファンからの評価が分かれている。FIAは将来的にこの比率を80:20あるいは90:10で内燃寄りに変更する案も視野に入れており、そこにV8エンジンという「折衷案」が浮上してきた。

現実的なV8回帰のシナリオ
かつてのV10やV12エンジンに比べ、V8は依然として多くの市販車メーカーが採用する現実的な構成だ。コスト面でも利点があり、パフォーマンスと魅力的なエンジンサウンドを維持しつつ、持続可能燃料との組み合わせによってカーボンニュートラルを実現できる可能性もある。

こうした動きの中、ホンダ・レーシングの渡辺康治社長は、F1の将来のパワーユニット規定に関する議論について「現在は一時的に停止している」と語り、メーカーとしてはまず2026年の新レギュレーションに向けた準備に集中していると明らかにした。

FIAは今年4月、持続可能な燃料で駆動するV10エンジンなども視野に入れた将来的な技術規定の検討に向け、各エンジンメーカーとの非公開会合を実施。その後、少なくとも2029年までは現行の持続可能性重視の方針を維持することが発表されていた。

これを受けて渡辺氏は、日本の報道機関の取材に対し、今後の議論が完全に終了したわけではないとしつつも、当面は2026年に導入される電動化と内燃機関が半々となる新規定への対応が最優先であると述べた。

またホンダとしては、F1が今後もモータースポーツの最高峰であり続けることを望んでおり、そのために「どのようなパワーユニットの形がふさわしいのか」を引き続き考えていく姿勢を示した。

FIAのシングルシーター部門を率いるニコラス・トンバジスも、「持続可能性と技術の自由度のバランスを取ることは容易ではないが、コスト削減を常に最優先に考えるべきだ」と述べ、メーカー各社にも合理化の提案を求めている。

スライエム会長はこの構想について「準備には3年かかる。2029年には導入可能な形にしたい」と語っており、実現には中長期的な調整が必要とされるが、すでにFIA内では具体的な議論が進められているという。

モハメド・ビン・スライエム FIA(国際自動車連盟)会長

統一部品によるコスト削減
エンジン構造だけでなく、ギアボックスやハイブリッドシステムの標準化も議論の俎上に上っている。これにより、設計・開発・製造にかかるコストを大幅に抑えることが可能になる。過去にもECU(エンジン制御装置)の共通化が実現されており、その際に懸念された性能差や不公平は現実には起こらなかった。

ただし、ハイブリッド関連の部品については、ブランドごとの独自性や研究投資を重視するメーカーの抵抗が予想される。とはいえ、それが観客の目に触れる技術ではない以上、コスト削減の大義が支持を集める可能性は高い。

燃料供給の一本化とその難しさ
さらに、スライエム会長は「燃料の一社供給」案も示している。これは持続可能燃料の高騰(現在1リットルあたり約275〜300ドル)を背景に、コスト負担の軽減を目指した提案だ。だが、燃料メーカーにとってはパフォーマンスとの結びつきがブランド訴求の要であり、反発も予想される。

たとえばフェラーリと長年提携するシェルは、同社のV-Powerブランドの技術力をF1で実証してきた。もし燃料が他社製に置き換われば、表面上は提携を継続していても、実態との乖離がブランドイメージに影響を及ぼしかねない。

変革の本質は「備え」にある
F1は今、人気・商業ともに絶頂期にある。だが、スライエム会長が繰り返し強調するのは「だからこそ、今が備えるべき時だ」という視点だ。地政学的リスクや経済の先行き不透明さを踏まえれば、F1が安定性と柔軟性を兼ね備えた技術構成へと移行することは、将来への強固な布石となる。

V8回帰の構想は、単なる郷愁ではない。コスト、サウンド、技術バランス、そして持続可能性──そのすべてを見据えた上での、戦略的な選択肢である。F1がその道を選ぶとき、かつての「熱狂」は再び現代の現実と結びつくことになるかもしれない。

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カテゴリー: F1 / FIA(国際自動車連盟) / F1マシン