佐藤琢磨、15番グリッドから決勝に挑む / インディカー
2015年7月19日

2011年にアイオワ・スピードウェイでインディカーキャリアでの初ポールポジションを獲得した佐藤琢磨(A.J. Foyt Racing)は、金曜日に行われたプラクティス1で13番手、プラクティス2では19番手のラップタイムを記録。
マックス・チルトン、ジュール・ビアンキに捧げるポールポジション
2015年7月19日

マックス・チルトンとジュール・ビアンキは、2013年シーズンのスタートから2014年の運命のF1日本GPまでマルシャのガレージをシェア。その後、マックス・チルトンは、チームの最後のレースとなったF1ロシアGPまで1台だけで参戦を続けた。
フェラーリ 「さようなら、ジュール」
2015年7月18日

ジュール・ビアンキは、2009年末に発足したフェラーリ・ドライバー・アカデミーの最初の所属ドライバーとなり、若手ドライバーテストにフェラーリから参加してF1マシンで初走行。2011年にはフェラーリのテストドライバーに就任。将来のフェラーリドライバーを期待されるドライバーだった。
マノー・マルシャ 「ジュール・ビアンキのためにレースを続けていく」
2015年7月18日

ジュール・ビアンキは、2013年にマルシャでF1デビュー。2014年にはF1モナコGPで9位入賞を果たしてチームに初ポイントをもたらした。この結果によって、マルシャはコンストラクターズ選手権で9位を終え、2015年に大きな賞金を約束された。
フォース・インディア 「ジュールはチームに幸せをもたらす人物だった」
2015年7月18日

下位カテゴリーで優秀な成績を収めたジュール・ビアンキは、2012年にフォース・インディアのリザーブドライバーに就任。同年のF1中国GPのフリー走行1回目にグランプリ週末デビューを果たしている。
ジュール・ビアンキが永眠、享年25歳
2015年7月18日

8月3日に26歳の誕生日を迎えるはずだったジュール・ビアンキ。2014年のF1日本GP決勝レースに雨の降るトラックでコースアウトし、作業していた重機と衝突。重い脳外傷を負ったジュールビアンキは、三重の病院で治療を受けた後、今年初めに母国フランスの病院に転院していたが、意識が戻らず膠着状態が続いていた。
ジェンソン・バトン 「夏休みはマクラーレン・ホンダの改善にとって重要」
2015年7月18日

既にエンジン配分を使い切ってしまったホンダのパワーユニットの信頼性の低さは、マクラーレンの開発率の妨げとなっている。
しかし、ジェンソン・バトンは、マクラーレンはF1ハンガリーGP後の時間を有効に使えることを期待している。
佐藤琢磨 「歯車がかみ合わなかった」 / インディカー
2015年7月18日

手応えと失望。ミルウォーキーで開催されたベライゾン・インディカー・シリーズの一戦で佐藤琢磨とAJフォイト・レーシングが経験したことは、このふたつの言葉に集約できる。No.14 ダラーラ・ホンダはリードラップで14位フィニッシュを果たしたが、この結果はミルウォーキーの週末に彼らが示した恐ろしいまでのパフォーマンスをまったくといっていいほど反映していない。
マクラーレン 「ホンダにカスタマーチームは不要」
2015年7月18日

新生マクラーレン・ホンダの戦いは、決して計画通りには進んでおらず、第9戦を終えた時点でまだ5ポイントの獲得となっている。
現在、1チームだけにパワーユニット供給を行うエンジンメーカーはホンダだけとなっている。