セルジオ・ペレスが語るF1移籍 フェラーリを断りマクラーレンを選んだ理由

すべてのF1ドライバーには、ほんの一瞬の判断次第でキャリアが大きく変わっていたかもしれない、そんな分岐点の物語がある。
セルジオ・ペレスもまさにその一人だ。10年以上にわたりF1のグリッドに立ち、2026年にはキャデラックとともに復帰を準備している彼は、自身のキャリアを左右した重要な決断を振り返った。
ペレスは2011年にザウバーでF1デビューを果たした。フェラーリ育成アカデミー出身の若手にとって、当時これは定番のルートだった。
その後、スイスのチームで2シーズンを戦っただけで、ペレスはF1屈指のビッグチームから注目を集める存在となる。
通算6勝を挙げているペレスは、2013年F1シーズンを前に、キャリアの分岐点となる状況に置かれていた。
ペレスは「Cracks Podcast」で、当時を次のように振り返っている。
「本当に、すべてがあっという間に起きたんだ」
「当時の僕は、グリッドで最も引く手あまたのドライバーだった。若いドライバーなら誰もが望む状況だよね。F1に来てすぐ結果を出すと、どこまで行けるか分からないから、全チームが欲しがるんだ」
「実際、僕にはビッグチームから3つの選択肢があった」
「そのうちの1つがフェラーリだった。フェラーリの育成アカデミーのおかげでF1に来られたわけだから、論理的にはそのままフェラーリの道を進むのが自然だった」
「でも、フェラーリは2014年までシートを用意できなかった。僕は焦っていた。若くて、最高のチームに行って、すぐにチャンピオン争いをしたかったからね」
「とにかく必死だったし、そんな中で突然チャンスが舞い込んできた」
「僕たちは、マクラーレンとレッドブルだけは絶対に走ることはないと思っていた。どちらもアカデミーを重視していて、基本的に方針が固まっているチームだったからだ」
「でも、そこにマクラーレンが現れた」
「ハミルトンがチームを離れるタイミングで、マクラーレンはとても自信満々で僕のところに来た。そして契約を提示され、僕はそれを受け入れた。それが、僕の瞬間だったんだ」

その決断がもたらした「マクラーレン史上最悪の年」
ペレスにとってマクラーレンでの唯一のシーズンは、結果的に厳しいものとなった。
チームはコンストラクターズ選手権5位に終わり、表彰台は一度も獲得できなかった。チームメイトのジェンソン・バトンには、シーズンを通して24ポイント差をつけられている。
ペレスは当時の状況をこう語っている。
「マクラーレンは、史上最高のマシンを作ったと思っていた」
「フロントはマクラーレン、中央はレッドブル、リアはフェラーリ。理論上は最高のクルマだった」
「前年はチャンピオン争いをしていたし、レギュレーションもほとんど変わっていなかった。これほど大きく後退するのは、非常に珍しいことだ」
「そして、結果的にそれがマクラーレン史上最悪の年になってしまった」
「これは僕がF1参戦3年目のときで、契約更新に関する条項もあった」
「最終的に契約は更新されなかったが、そのことを知らされたのはシーズンの本当に終盤だった。本当に遅いタイミングで、その結果、僕はシートを失った」
ペレスは1年でマクラーレンを離れることになり、その後はフォース・インディア、レーシング・ポイントでキャリアを立て直し、最終的にはレッドブルへとたどり着いた。
マクラーレンにとっても、この時期は歴史的に厳しいものだった。チームは2015年と2017年にコンストラクターズ選手権9位に低迷し、2008年にはスパイゲート問題によって選手権から除外されるという不名誉な記録も残している。
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