バレンティーノ・ロッシの父 「ドゥカティ移籍でF1に近づいた」
2010年8月17日

バレンティーノ・ロッシは、今シーズン末で7年間所属したヤマハを離れ、2011年からドゥカティに移籍する。
元ロードレース世界選手権のライダーだったグラツィアーノ・ロッシは、ドゥカティ移籍によって息子がF1に近づいたと考えている。
ドゥカティ 記者会見:バレンティーノ・ロッシとの契約について
2010年8月16日

バレンティーノ・ロッシはまだヤマハとの契約があるため会見には出席しなかったが、ドゥカティのガブリエル・デル・トルキオCEOとチームマネージャーのビットリアーノ・グアレスキが出席して、ロッシとの契約までの経緯などを語った。
バレンティーノ・ロッシ、ドゥカティ移籍へのコメント
2010年8月16日

バレンティーノ・ロッシ
「ヤマハと僕との7年間の関係については、ひと言やふた言で説明することはできない。あの2004年から、いろいろ状況が変ってきたけれど、中でも一番変化したのが彼女、つまりYZR-M1なんだ。彼女は当時、グリッドの真ん中あたりに留まっていて、ライダーを含めてMotoGPに携わる多くの人たちにとって、その存在は輝くものではなかった。ところが今は、すっかり成長して進化し、賞賛され、求愛されてガレージのなかで微笑んでいる。クラストップの存在として扱われるようになったんだ」
バレンティーノ・ロッシ、今季限りでのヤマハ離脱を発表
2010年8月16日

2004年にヤマハに移籍したバレンティーノ・ロッシは、ヤマハでの7年間で4度のMotoGPチャンピオンを獲得している。
「ヤマハは、ここ7年間のレースでの成功におけるバレンティーの貢献に非常に感謝しており、今後の彼のレーシングの幸運を祈っている」とヤマハは声明で述べた。
AKB48板野友美、富沢祥也のグリッドガールに決定!
2010年8月12日

富沢祥也のゼッケン「48」と、AKB48の「48」でつながったコラボレーションが実現。世界で活躍中の富沢選手とロサンゼルス公演も行った話題沸騰のグループ、AKB48の中でも高い人気を誇る板野さんが先日、横浜市内で初対面した。
「すごくかわいい方ですね。実際、お会いすると顔が小さくて目が大きくてビックリしました」と富沢祥也はコメント。
バレンティーノ・ロッシ、復帰戦で4位入賞
2010年7月19日

バレンティーノ・ロッシは、第4戦イタリアGPのフリー走行で右足を骨折してから6週間後に驚異の復帰。最終コーナーでケーシー・ストーナーに抜かれたものの、4位入賞という結果を残した。
「4位でこんなに嬉しかったことはないよ」とバレンティーノ・ロッシはコメント。
バレンティーノ・ロッシ、復帰戦の予選で5番手
2010年7月17日

第3戦フランスGP以来となる公式予選を前に、フリー走行2で7番手から3番手に浮上すると、1分22秒台のリズムで周回を重ねた。
「2日目に満足している。バイクの上で自信を感じる。今日は2度のセッションだったから、昨日より厳しかった。痛みがあり、疲れたけど、僕の動きはグッドだ」とバレンティーノ・ロッシは2度目のセッションを振り返った。
バレンティーノ・ロッシ、復帰戦のフリー走行で7番手タイム
2010年7月17日

バレンティーノ・ロッシは、第4戦イタリアGPのフリー走行2以来41日ぶりにM1を走らせると、1度目のコースインで1分24秒台を突破。
ペドロサ、ストーナー、ロレンソに続くリズムで周回を重ね、最終29ラップ目には、1分23秒244を記録した。
バレンティーノ・ロッシ 「MotoGPがすごく恋しかった」
2010年7月16日

ホームレースだった第4戦イタリアGPのフリー走行2で右脚脛骨を開放骨折してから40日後、昨年僅少さで優勝したザクセンリンクのパドックに姿を見せたバレンティーノ・ロッシは、「MotoGP、特に僕のバイクと僕のチームがすごく恋しかった」と、6週間ぶりの再会を語った。