MotoGP:故マルコ・シモンチェリ 追悼メモリアルラン

2012年9月16日
マルコ・シモンチェリ 追悼メモリアルラン
故マルコ・シモンチェリを偲ぶ追悼のメモリアルランのために、3クラスにエントリーする全ライダーたちが一堂に集結。ミサノ・ワールド・サーキット‐マルコ・シモンチェリのトラックで、多くのライダーたちが自前の自転車で感動の1ラップを周回した。

第13戦サンマリノ&デラ・リビエラ・ディ・リミニGPのプレイベントは13日、ミサノ・ワールド・サーキット‐マルコ・シモンチェリのトラックで行われ、3クラスのライダーたちが自転車で故マルコ・シモンチェリを追悼するメモリアルランを行った。

ケーシー・ストーナーが手術を決断 「MotoGPタイトルの望みは消えた」

2012年8月24日
ケーシー・ストーナー
ケーシー・ストーナーは、骨折した右足首の手術を受けるため、オーストラリアに帰国し、今週末の第12戦チェコGPを欠場することを発表。2012年のMotoGPタイトルの望みは消えたと認めた。

ケーシー・ストーナーは、前戦インディアナポリスGPの公式予選で転倒を喫した際に右足首を骨折して、靭帯を損傷したことから、医師団の助言を受けて、手術を受けることを決断した。

バレンティーノ・ロッシ 「ヤマハで勝てなかったら引退」

2012年8月18日
バレンティーノ・ロッシ
バレンティーノ・ロッシは、ヤマハに移籍しても結果が好転しなければMotoGPから引退するつもりだと述べた。

ドゥカティに移籍して以降、2度の表彰台しか獲得できていないバレンティーノ・ロッシは、ラグナ・セカでの転倒リタイア後、モチベーションを保つのが難しかったと認めた。

バレンティーノ・ロッシ 「ドゥカティで結果を出せなくて本当に残念」

2012年8月17日
バレンティーノ・ロッシ
今シーズン限りでドゥカティを去り、古巣ヤマハに復帰する決断をしたバレンティーノ・ロッシが、移籍についての心境を語った。

2010年にドゥカティに移籍したバレンティーノ・ロッシだが、2013年から再びヤマハでホルヘ・ロレンソとチームを組むことが発表された。

「ドゥカティと競争力を発揮できなかったのは本当に残念だ」とバレンティーノ・ロッシは自身のTwitterでコメント。

ケーシー・ストーナー、今季限りでのMotoGP引退を発表

2012年5月18日
ケーシー・ストーナー
ケーシー・ストーナーが、今シーズン限りでMotoGPを引退することを発表した。

26歳のオーストラリア人ライダーは、2002年からフル参戦を開始すると、ドゥカティ・マールボロ・チームから参戦した最高峰クラス2年目、800ccクラスの1年目となった2007年に初タイトルを獲得すると、レプソル・ホンダから参戦した2011年に2度目のタイトルに成功。

MotoGP:2012年 暫定エントリーリストを発表

2012年1月15日
MotoGP 2012
FIM国際モーターサイクリズム連盟は13日、2012年シーズンにMotoGPクラスにフル参戦する暫定エントリーリストを発表した。

2012年のMotoGPは、レギュレーション変更により、7チーム、9人のCRTクレイミング・ルール・チームを含む14チーム、21人がエントリー。CRTチームとは、メーカーからエンジンを購入して参戦するチームを指し、エンジンの使用機数やタンク容量などに優遇策がとられる。

故マルコ・シモンチェリの財団が設立

2011年12月23日
マルコ・シモンチェリ財団
故マルコ・シモンチェリの思い出を継続する目的で、家族と友人たちが中心となって財団を創設。1月20日にはリミニで誕生日会を開く。

故マルコ・シモンチェリの父親パオロ・シモンチェリは22日、非営利団体としてマルコ・シモンチェリ財団を設立したことを発表した。

パオロと母親のロッセーラ、妹のマルティナ、ガールフレンドのケイト、パーソナルマネージャーのカルロ・ペルナット、ジャーナリストのパオロ・ベルトタモが発起人となり、マルコ・シモンチェリの思い出を継続する目的で財団を創設。

スズキ、MotoGP参戦を休止

2011年11月20日
スズキ MotoGP
スズキは、2012年よりMotoGPへの参戦を一時休止することを発表した。

スズキは、MotoGP参戦休止の理由を「先進国市場の長引く不況、歴史的な円高、災害等により未だ厳しい環境にあるため」と説明。

だが、「2014年の再参戦を目途として競争力のあるマシン開発を行います」と2014年からのMotoGPに復帰する意向を示した。

MotoGPライダー、マルコ・シモンチェリに哀悼の意

2011年10月25日
マルコ・シモンチェリ
MotoGPライダーが、マレーシアGPの事故で命を落としたマルコ・シモンチェリに、ロッシ、ロレンソ、ヘイデン、スピース、バルベラらが、友人であり、ライバルだったシモンチェリに、プレスリリースやシーシャルネットワークを通じて別れの言葉を送った。

バレンティーノ・ロッシ
「シッチは僕にとってまるで弟のようだった。トラックでは非常にストロングで、トラック外では非常にスイートな人柄だった。すごく寂しく思う」
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