Moto2クラス、富沢祥也のゼッケン48を欠番に
2010年9月18日

エントリーした全ライダーたちは、富沢祥也のゼッケンだった48のステッカーをマシンに貼って、第13戦アラゴンGPのフリー走行1に登場。各ライダーたちが、それぞれの形で、富沢の死去を偲んだ。
富沢祥也さん通夜 ・・・ AKB48 板野友美ら供花
2010年9月14日

祭壇には笑顔の遺影とともにライダースーツ、ヘルメットなどの遺品が飾られ、バレンティーノ・ロッシや親交のあったV6の長野博、日本GPで富沢選手のグリッドガールを務める予定だったAKB48の板野友美らからの多くの供花で埋め尽くされた。
MotoGPライダー、富沢祥也選手に哀悼の意
2010年9月7日

バレンティーノ・ロッシ
「こんなに悲しいことが起きてしまうと、全てがゼロになってしまう。リザルトは重要ではない。本当に残念だ。彼は非常にストロングなライダーだったけど、何よりもすごく好感で、いつも笑顔だった。まだ若く、この先グレートなキャリアが控えていた。すごく悲しい」
ホンダ、富沢祥也選手に哀悼の意
2010年9月6日

ロードレース世界選手権(WGP)Moto2 クラスに参戦するTechnomag-CIP チームの富沢祥也選手(19歳)は、2010 年9月5日(日)に開催された第12 戦サンマリノグランプリ Moto2 クラス決勝レース走行中の12 周目、11 コーナーで転倒。頭部、胸部、腹部を負傷し、サーキット内のメディカルセンターで人工呼吸などの処置を受けた後、2 名の医師とともにサーキットからリッチョーネ市内の病院に搬送されました。病院では緊急処置が施されたものの、同日(9月5日)午後2時2 分、逝去されました。
バレンティーノ・ロッシ 「ヤマハでの仕事は終わった」
2010年8月18日

「基本的に、僕のヤマハにおける仕事は終了したと思う。状況は2004年から大きく変わり、今M1はMotoGPのベストマシンだ」と、移籍決定後、初めてその理由を説明。
「ヤマハは、ファンタスティックなヤングライダーを起用するから、チームにとって、僕はもう必要ないようだ」
バレンティーノ・ロッシの父 「ドゥカティ移籍でF1に近づいた」
2010年8月17日

バレンティーノ・ロッシは、今シーズン末で7年間所属したヤマハを離れ、2011年からドゥカティに移籍する。
元ロードレース世界選手権のライダーだったグラツィアーノ・ロッシは、ドゥカティ移籍によって息子がF1に近づいたと考えている。
ドゥカティ 記者会見:バレンティーノ・ロッシとの契約について
2010年8月16日

バレンティーノ・ロッシはまだヤマハとの契約があるため会見には出席しなかったが、ドゥカティのガブリエル・デル・トルキオCEOとチームマネージャーのビットリアーノ・グアレスキが出席して、ロッシとの契約までの経緯などを語った。
バレンティーノ・ロッシ、ドゥカティ移籍へのコメント
2010年8月16日

バレンティーノ・ロッシ
「ヤマハと僕との7年間の関係については、ひと言やふた言で説明することはできない。あの2004年から、いろいろ状況が変ってきたけれど、中でも一番変化したのが彼女、つまりYZR-M1なんだ。彼女は当時、グリッドの真ん中あたりに留まっていて、ライダーを含めてMotoGPに携わる多くの人たちにとって、その存在は輝くものではなかった。ところが今は、すっかり成長して進化し、賞賛され、求愛されてガレージのなかで微笑んでいる。クラストップの存在として扱われるようになったんだ」
バレンティーノ・ロッシ、今季限りでのヤマハ離脱を発表
2010年8月16日

2004年にヤマハに移籍したバレンティーノ・ロッシは、ヤマハでの7年間で4度のMotoGPチャンピオンを獲得している。
「ヤマハは、ここ7年間のレースでの成功におけるバレンティーの貢献に非常に感謝しており、今後の彼のレーシングの幸運を祈っている」とヤマハは声明で述べた。