パリス・ヒルトン、MotoGP 125ccクラスのチーム結成

2010年12月23日
パリス・ヒルトン
パリス・ヒルトンは18日、スペインの首都マドリード市内のホテルで、2011年シーズンにMotoGP 125ccクラスに参戦するチーム「スーパーマルトセ・VIP・バイ・パリス・ヒルトン」を発表した。

ホテルチェーン、ヒルトン・ホテルの創業者一族の令嬢として、モデル、デザイナー、女優、歌手、作家と多岐にわたって活躍するパリス・ヒルトンは、現在パリス自身がスペインのイビサ島を中心にプロデュースするインターナショナルパーティーのワールドツアー、スーパーマルトセ・VIPのプロモーションを展開。

ドゥカティ、メルセデス・ベンツAMGとスポンサー契約

2010年11月21日
ドゥカティ メルセデスベンツAMG
ドゥカティ・モーター・ホールディングは17日、アメリカのロサンゼルスで開催中のオートショーで、メルセデス・ベンツAMGと共同会見を開き、マーケティング活動を共同で展開することを発表した。

ドゥカティとAMGの最初の協力関係は、スポンサーとマーケティング活動となり、AMGは、2011年からドゥカティ・チームのオフィシャルカーとしてサポートする。

さらに、AMGが選択するイベントにおいて、ドゥカティのオフィシャルライダーたちやドゥカティの顧客に、AMGを走らせる機会を提供するなど、今後戦略的な活動を展開していく。

バレンティーノ・ロッシ、ドゥカティのMotoGPマシンで初走行

2010年11月10日
バレンティーノ・ロッシ
バレンティーノ・ロッシは9日、来年から所属するドゥカティ・チームからオフィシャルテストに参加。2011年型のデスモセディチGP11で初走行を行った。

最終戦バレンシアGPを終えてから2日後、バレンティーノ・ロッシはリカルド・トルモに延滞。今年の12月31日まで契約があるヤマハ発動機からの許可を得て、今年最後のテストに参加。

テストライダーのフランコ・バッタイーニが、挙動を確認した後、ロッシは12時24分にソフトタイヤを装着したデスモセディチGP11でコースイン。7ラップを走行した。

ホルヘ・ロレンソ、MotoGPクラスで初タイトルを獲得

2010年10月10日
ホルヘ・ロレンソ、MotoGPクラスで初タイトルを獲得
ホルヘ・ロレンソは、第15戦マレーシアGPの決勝レースで表彰台を獲得し、最高峰MotoGPクラスで初タイトルを獲得。通算3度目のタイトルを奪取した。

今季6度目のポールポジションからスタートしたロレンソは、決勝を3位でフィニッシュ。3戦ぶり13度目の表彰台を獲得し、3戦を残して、最高峰MotoGPクラスの2010年のワールドチャンピオンに輝いた。

「最高峰クラスでの初タイトル。夢が現実となった!」とホルヘ・ロレンソは語る。

Moto2クラス、富沢祥也のゼッケン48を欠番に

2010年9月18日
富沢祥也
MotoGPファミリーは、第12戦サンマリノ&リビエラ・ディ・リミニGPの決勝レースで不慮の事故死を遂げた富沢祥也に対して、複数の追悼セレモニーを実施することを決めた。

エントリーした全ライダーたちは、富沢祥也のゼッケンだった48のステッカーをマシンに貼って、第13戦アラゴンGPのフリー走行1に登場。各ライダーたちが、それぞれの形で、富沢の死去を偲んだ。

富沢祥也さん通夜 ・・・ AKB48 板野友美ら供花

2010年9月14日
富沢祥也
ロードレース世界選手権第12戦サンマリノGP決勝レースでの転倒事故で亡くなった富沢祥也選手の通夜が14日、出身地である千葉県旭市の東総会館で行われれ、レース関係者や同級生、ファンなど1100人が参列。故人をしのんだ。

祭壇には笑顔の遺影とともにライダースーツ、ヘルメットなどの遺品が飾られ、バレンティーノ・ロッシや親交のあったV6の長野博、日本GPで富沢選手のグリッドガールを務める予定だったAKB48の板野友美らからの多くの供花で埋め尽くされた。

MotoGPライダー、富沢祥也選手に哀悼の意

2010年9月7日
富沢祥也
MotoGPライダーたちが、第12戦サンマリノGP Moto2クラスのレース中に転倒を喫し、不運にも帰らぬ人となった富沢祥也選手に哀悼の意を表した。

バレンティーノ・ロッシ
「こんなに悲しいことが起きてしまうと、全てがゼロになってしまう。リザルトは重要ではない。本当に残念だ。彼は非常にストロングなライダーだったけど、何よりもすごく好感で、いつも笑顔だった。まだ若く、この先グレートなキャリアが控えていた。すごく悲しい」

ホンダ、富沢祥也選手に哀悼の意

2010年9月6日
富沢祥也
ホンダは、ロードレース世界選手権サンマリノGP Moto2クラスでレース中に倒を喫し、不運にも帰らぬ人となった富沢祥也選手に哀悼の意を表した。

ロードレース世界選手権(WGP)Moto2 クラスに参戦するTechnomag-CIP チームの富沢祥也選手(19歳)は、2010 年9月5日(日)に開催された第12 戦サンマリノグランプリ Moto2 クラス決勝レース走行中の12 周目、11 コーナーで転倒。頭部、胸部、腹部を負傷し、サーキット内のメディカルセンターで人工呼吸などの処置を受けた後、2 名の医師とともにサーキットからリッチョーネ市内の病院に搬送されました。病院では緊急処置が施されたものの、同日(9月5日)午後2時2 分、逝去されました。

バレンティーノ・ロッシ 「ヤマハでの仕事は終わった」

2010年8月18日
バレンティーノ・ロッシ
バレンティーノ・ロッシは16日、オフィシャルテストが行われたブルノ・サーキットで、ヤマハを離脱し、来年からのドゥカティ入りについて説明した。

「基本的に、僕のヤマハにおける仕事は終了したと思う。状況は2004年から大きく変わり、今M1はMotoGPのベストマシンだ」と、移籍決定後、初めてその理由を説明。

「ヤマハは、ファンタスティックなヤングライダーを起用するから、チームにとって、僕はもう必要ないようだ」
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