フェルナンド・アロンソ、R30の開発にシフトしたルノーの決定を支持

2009年11月9日
フェルナンド・アロンソ
フェルナンド・アロンソは、2010年マシンの開発のために、シーズン中のR29を開発をストップしたルノーの決定を支持している。

2008年シーズンに優勝を含めパフォーマンスを改善させたルノーだが、2009年は期待に反して低迷。ルノーはすぐに2010年マシンR30の開発にシフトすることに決定した。

「来年はエアロダイナミクスに関してはほぼ同じだ。今年実施したことが役に立つのは確かだが、狭いフロントタイヤと大きな燃料タンクによってマシンは変わると思うし、燃料搭載量のために異なる方法で準備しなければならないだろう」

ファイルーズ・ファウジー、2010年はロータスのリザーブドライバー

2009年11月9日
ファイルーズ・ファウジー
ロータスのマイク・ガスコインは、ファイルーズ・ファウジーが2010年にロータスのリザーブドライバーになる可能性が高いことを認めた。

27歳のマレーシア人ドライバーであるファイルーズ・ファウジーは、以前スパイカーのリザーブドライバーを務めた経験があり、今シーズンはワールド・シリーズ・バイ・ルノーに参戦していた。

ロータスは、まだ2010年のドライバーを発表していないが、テクニカルディレクターを務めるマイク・ガスコインは、ファイルーズ・ファウジーが来年チームの一員になることを認めた。

マクラーレンが縮めた“2.5秒”と2010年F1勢力図

2009年11月9日
マクラーレン MP4/24
2009年シーズン、最も進化を遂げたのがマクラーレンだ。

開幕戦オーストラリアGPの予選。Q2トップタイムのジェンソン・バトンとルイス・ハミルトンの差は約2.5秒あった。そのマクラーレンが、ヨーロッパGPでポールポジションを獲得するまで戦闘力を高めた。

そのキーとなったのが、論争となった“ダブルディフューザー”。シーズン前半はダブルディフューザーを搭載したブラウン、トヨタ、ウィリアムズと、非搭載チーム、KERS搭載を選んだマクラーレン、フェラーリ、ルノーとで明暗が分かれた。

中嶋一貴、2010年の移籍候補はルノーを含む3チーム

2009年11月9日
中嶋一貴
中嶋一貴は、2010年のF1シート獲得に向けて動きだしている。

3年間所属したウィリアムズは、2010年をルーベンス・バリチェロとニコ・ヒュルケンベルグで戦うことを発表。トヨタとの繋がりでウィリアムズのシートを獲得した中嶋一貴だが、ウィリアムズはトヨタとのエンジン契約を終了し、2010年からコスワースの搭載を発表。契約も満了し、ウィリアムズとの関係は断たれた。

青山博一、MotoGP 250ccクラスのチャンピオン獲得!

2009年11月8日
青山博一
青山博一が、MotoGP 250ccクラスでチャンピオンを獲得した。

チーム・スコットでホンダマシンに乗る青山博一。2001年の加藤大治郎以来、8年ぶりの日本人チャンピオンが誕生した。

トヨタのF1撤退をはじめ、暗いニュースが続くモータースポーツ界で、二輪の青山博一が明るいニュースを届けてくれた。

エティハド航空、フォース・インディアへの賠償命令を不服として上告

2009年11月8日
開幕前のフォース・インディアのマシン
エティハド航空およびアルダー・プロパティは、フォース・インディアへの契約違反として470万ドルの支払いを命じられたことを不服とし、上告することに決定した。

エティハド航空は、2008年にフォース・インディア(前スパイカー)からフェラーリへスポンサー先を変更。しかし、これがフォース・インディアへの契約違反にあたるとして、ロンドン高裁は470万ドル(約4億2,000万円)の支払いを命じた。

フェルナンド・アロンソ、フェラーリのファクトリーを初訪問

2009年11月7日
フェルナンド・アロンソ フェラーリ
フェルナンド・アロンソは、フェラーリのファクトリーを初めて訪問した。

2010年からフェラーリへ移籍するフェルナンド・アロンソ。だルノーの契約が終了していないため、来年の2月のテスト禁止期間が終了するまで、フェラーリをテストすることができない。

しかし、アロンソは、新しい同僚に会うためにマラネロを訪問した。

ロータス、F1マシンの製造を開始

2009年11月7日
ロータス F1マシン
ロータスは、2010年F1マシンのシャシーの製造を開始した。

風洞モデルに関してフォース・インディアとの論争を繰り広げているロータスだが、ドイツにあるのカプリコーン有限会社でシャシーの生産をスタートさせた。マシンは、マイク・ガスコインのもとケルンで設計された。

「これまでのように、うまくいって部分もあれば、少し遅れているエリアもある。しかし、全体的にクルマに関してはほぼ狙い通りだ」とガスコインは語る。

小林可夢偉 「2010年の契約にサインする目前だった」

2009年11月6日
小林可夢偉
小林可夢偉は、トヨタがF1撤退しなければ2010年のシートを獲得できていただろうと語る。

一時は父親の継ぐ寿司屋で働くことさえ考えたという小林可夢偉だが、負傷したティモ・グロックの代役として参戦したラスト2戦で印象的なパフォーマンスをみせ、パドックの評価をあげていた。

しかし、トヨタは2009年をもってF1から撤退することを発表。小林可夢偉は、GP2に参戦する予算はないため、2010年にF1で残れれなければ、日本に帰国しなければならないだろうと語る。
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