ジャンカルロ・フィジケラ Q&A (2009年シーズンプレビュー)
2009年3月1日

新車の印象はどうですか?
興味深いと思うよ。新しいレギュレーションによって、どんなことでも起こり得るしね。マシンの新しいシェイプは、興味深いと思うし、サーキットで速いことを期待しているよ。
マクラーレンと契約し、マネジメントが変化してことによって、チームの作業は昨年と比べてどのように変わりましたか?
メルセデスエンジンとギアボックスを得て、とてもパートナッシップは良いし、エンジニアの関係も非常に力強いけど、毎日ファクトリーに行っていた訳ではないし、彼らがどのように作業しているか見ていないので、これ以上は言えない。マクラーレンが長年、世界最高のチームであることは間違いないし、彼らと作業することを本当に嬉しく思っているよ。
ジャンカルロ・フィジケラ ヘルメット (2009年)
2009年3月1日

ジャンカルロ・フィジケラの2009年のヘルメット。昨年は白を多用した落ち着いたイメージのカラーリングだったフィジケラだが、今年はルノー時代のようなラメを多用した派手なカラーリングに変更。昨年白だった部分をシルバーに変更し、イタリアのカラーであり、フィジケラのヘルメットの特徴である黄緑、黄色、青も蛍光系の色に変更された。アライ製。
ジャンカルロ・フィジケラ 「2009年は大きなチャンス」
2008年12月20日

フォース・インディアは来シーズン、メルセデス・エンジンとマクラーレンとの技術パートナーシップを手に入れる。
2008年シーズンは、後方での戦いを強いられたフィジケラだが、2009年のレギュレーションがチームに利益をもたらすことを期待している。
フォース・インディア、2009年のドライバーを決定
2008年12月14日

チームはまた、F1における2シーズン目を「完全なドライバーの継続」されるために、ヴィタントニオ・リウッツィが公式テスト&リザーブドライバーとして残留することを発表した。
ジャンカルロ・フィジケラ、2009年のシートを確信
2008年11月29日

フォース・インディアは、今月マクラーレンと技術パートナー契約を発表。組織変更をはじめ、バルセロナではペドロ・デ・ラ・ロサがフォース・インディアに参加するなど、ドライバーラインナップの変更も噂されている。
ジャンカルロ・フィジケラ (ブラジルGPプレビュー)
2008年10月29日

ジャンカルロ・フィジケラ (フォース・インディア)
2003年にジョーダンで初優勝をおさめた時から、ブラジルGPは常に好きな場所なんだ。当時僕のクルマで作業した人の何人かは、まだフォース・インディアにいるけど、この年からチームは多く変わっている。それにも関わらず、そこには同じスピリットがあるし、誰もが最大限のモチベーションを持っていいる。勝利か1ポイントに関わらず、出来る限り最高の結果を得たいね。
ジャンカルロ・フィジケラ (中国GPプレビュー)
2008年10月17日

ジャンカルロ・フィジケラ (フォース・インディア)
上海は素晴らしいサーキットだし、僕はそこでいくつか良い結果を残している。僕は2004年にカレンダーに加わったときから全てのレースを参加しているし、実際にそれらの全てで完走しているので、この記録を維持したいね。僕のベストリザルトは、2006年の表彰台だし、2005年には4位からポイントを獲って、ルノーのコンストラクターズタイトルを安全なものにできた。だから良い思い出があるサーキットなんだ。
ジャンカルロ・フィジケラ (日本GPプレビュー)
2008年10月6日

ジャンカルロ・フィジケラ (フォース・インディア)
日本にレースをしにいくのは好きだね。ファンはいつも本当に知性のあって、情熱的で、とても独特なんだ。大きなファンクラブもあるしね!富士は、とても長いストレートと低速コーナーのコンビネーションがある興味深いサーキットだ。本当のドライバーズ・サーキットだった鈴鹿とは非常に異なる。それでも、特にウェットコンディションのときはチャレンジだ。一般的に日本は僕にとって良いイベントだった。11回のうち9回フィニッシュしているし、2度表彰台に上った。また、昨年は非常に難しいレースで僕は5位になった。
フィジケラ、フォース・インディアを語る
2008年10月4日

ジャンカルロ、シンガポールはなかなかのレースでしたね。あなたはピットからスタートして、最終的に最下位でレースを終えましたが、そのあと2位を走行しました。あなたのシンガポールのドライブを分析していただけますか?
僕たちは最初のセーフティーカーのあと2ストップ戦略から1ストップに変更することを選択した。おわかりのように、僕たちにはピットストップのあと2度目のセーフティカーが必要だった。そうなればポイントが獲れただろう。集団の前にいたとき、僕は自分のポジションをうまく守ることができた。最後の4周で小さなテクニカル問題が発生し、僕は数ポジション引き渡さなければならなかった。でも、その時点ですでのポイントへの見込みを失ってしまっていた。