F1パワーユニットの仕組み:6つのコンポーネントの役割
2020年4月24日
F1は、2014年にレギュレーションを変更。従来の”エンジン”にあたる内燃機関(ICE)にエネルギー回生システム(ERS)を併用したハイブリッドシステム「パワーユニット(PU)」が導入された。ハイパワーと高効率を両立したこのPUが、現代F1マシンの心臓部を司っている。
F1世界選手権が始まった1950年以降、F1マシンの動力源は内燃機関、つまり一般の自動車と同じように燃料を用いて動力を生み出す“エンジン”を用いていた。
F1世界選手権が始まった1950年以降、F1マシンの動力源は内燃機関、つまり一般の自動車と同じように燃料を用いて動力を生み出す“エンジン”を用いていた。
F1マシン列伝:マクラーレン MP4-20 速いが脆い“ガラスのマクラーレン”
2020年4月23日
マクラーレンの2005年F1マシン『MP4-20』は、間違いなく最速マシンだったが、同時に信頼性の脆さを抱えた“ガラスのマクラーレン”というフレーズを象徴する一台だった。
マクラーレン MP4-20は、当時のテクニカルディレクターであるエイドリアン・ニューウェイ(現レッドブル)のアイデアが満載された攻めた一台だった。フロントサスペンションの配置はモノコック下端にロアアームを直接装着した“ゼロキール”方式を初採用。翌年以降多くのチームが採用し、現在のF1マシンのトレンドとなっている。
マクラーレン MP4-20は、当時のテクニカルディレクターであるエイドリアン・ニューウェイ(現レッドブル)のアイデアが満載された攻めた一台だった。フロントサスペンションの配置はモノコック下端にロアアームを直接装着した“ゼロキール”方式を初採用。翌年以降多くのチームが採用し、現在のF1マシンのトレンドとなっている。
F1マシン列伝:ブラウンGP BGP001 “幻となったホンダ RA109”
2020年4月23日
ブラウンGPが2009年に圧倒的な強さでダブルタイトルを獲得したF1マシン『BGP001』は、ホンダがF1を継続していれば、『ホンダ RA109』としてグリッドに並んでいるはずのマシンだった。
大幅に空力コンセプトを変更した2007年マシン『RA107』の開発に失敗したホンダF1は、2008年にチーム代表としてロス・ブラウンを招聘して立て直しを図っていた。しかし、リーマン・ショックのあおりを受けてホンダは2008年限りでF1撤退を決断した。
大幅に空力コンセプトを変更した2007年マシン『RA107』の開発に失敗したホンダF1は、2008年にチーム代表としてロス・ブラウンを招聘して立て直しを図っていた。しかし、リーマン・ショックのあおりを受けてホンダは2008年限りでF1撤退を決断した。
F1マシン列伝:ホンダ RA107 “意欲的な失敗作”
2020年4月21日
ホンダが2007年のF1世界選手権に投入したF1マシン『ホンダ RA107』は、様々な点で“意欲的”なマシンだったが、“失敗作”でもあった。
2007年からF1でタバコ広告が全グランプリで禁止されることに伴い、ブリティッシュ・アメリカン・タバコは2006年限りで撤退を決断。ホンダはBATが所有する株式を取得し、2006年にワークスチームとしてF1への参戦を開始した。
2007年からF1でタバコ広告が全グランプリで禁止されることに伴い、ブリティッシュ・アメリカン・タバコは2006年限りで撤退を決断。ホンダはBATが所有する株式を取得し、2006年にワークスチームとしてF1への参戦を開始した。
F1特集:数年ごとに浮上する“カスタマーカー”の是非
2020年4月21日
2020年のF1世界選手権は新型コロナウイルスの世界的な大流行によって開幕の目途が立っておらず、収入が見込めないことから特に小規模チームは存続の危機に瀕している。そんな中、レッドブル・ホンダF1のチーム代表クリスチャン・ホーナーが提唱するのが“カスタマーカー”の使用だ。
かつて、F1ではF1マシン(シャシー)を購入して参戦することが認められていた。だが、1982年に締結されたコンコルド協定によって“コンストラクターにのみF1への参戦資格を与える”ことが制定された。
かつて、F1ではF1マシン(シャシー)を購入して参戦することが認められていた。だが、1982年に締結されたコンコルド協定によって“コンストラクターにのみF1への参戦資格を与える”ことが制定された。
F1特集 | 佐藤琢磨 歴代F1マシン
2020年4月18日
佐藤琢磨のF1キャリアを歴代マシンとともに振り返る。
2001年には日本人初のイギリスF3チャンピオンを獲得した佐藤琢磨は、2002年にジョーダンでF1デビュー。史上7人目の日本人フルタイムF1ドライバーとなった。ホンダF1チーム所属時の2009年の第9戦アメリカGPでは自己初、そして日本人ドライバーとしては14年ぶりとなる3位表彰台を獲得した。
2001年には日本人初のイギリスF3チャンピオンを獲得した佐藤琢磨は、2002年にジョーダンでF1デビュー。史上7人目の日本人フルタイムF1ドライバーとなった。ホンダF1チーム所属時の2009年の第9戦アメリカGPでは自己初、そして日本人ドライバーとしては14年ぶりとなる3位表彰台を獲得した。
F1特集 | 小林可夢偉 歴代F1マシン
2020年4月14日
小林可夢偉のF1キャリアを歴代のF1マシンで振り返る。
2008年にGP2アジアのチャンピオンを獲得した小林可夢偉は、2009年に負傷したティモ・グロックの代役として第16戦F1ブラジルGPでF1デビュー。日本人18人目のF1ドライバーとなった。だが、その年でトヨタはF1から撤退。他チームのシートを求めることになる。
2008年にGP2アジアのチャンピオンを獲得した小林可夢偉は、2009年に負傷したティモ・グロックの代役として第16戦F1ブラジルGPでF1デビュー。日本人18人目のF1ドライバーとなった。だが、その年でトヨタはF1から撤退。他チームのシートを求めることになる。
F1特集 | ジェンソン・バトン 歴代F1マシン
2020年4月13日
ジェンソン・バトンのF1キャリアを歴代のF1マシンで振り返る。
2000年に20歳の若さでF1デビューを果たしたジェンソン・バトンは、ブラウンGPでF1ワールドチャンピオンを獲得。マクラーレン所属時の2016年末にF1を引退したが、2017年のF1モナコGPでインディ500に参戦したフェルナンド・アロンソの代役として1戦限りのF1復帰を果たしている。
2000年に20歳の若さでF1デビューを果たしたジェンソン・バトンは、ブラウンGPでF1ワールドチャンピオンを獲得。マクラーレン所属時の2016年末にF1を引退したが、2017年のF1モナコGPでインディ500に参戦したフェルナンド・アロンソの代役として1戦限りのF1復帰を果たしている。
メルセデスF1 「DASは人々がイノベーションを望んでいることを示した」
2020年4月10日
メルセデスF1チームのチーフデザイナーを務めるジョン・オーウェンは、DAS(デュアル・アクスル・ステアリング)への反応はF1におけるイノベーションの重要性を示していると感じていると語る。
メルセデスW11に搭載されている独創的なDASはF1プレシーズンテストのオンボード映像で明らかになった。ドライバーはステアリングを押し引きすることでフロントタイヤのトー角を変更することができ、タイヤ温度やストレートスピードに影響を与えると考えられている。
メルセデスW11に搭載されている独創的なDASはF1プレシーズンテストのオンボード映像で明らかになった。ドライバーはステアリングを押し引きすることでフロントタイヤのトー角を変更することができ、タイヤ温度やストレートスピードに影響を与えると考えられている。