ザウバー、2011年のセルジオ・ペレスとの契約を発表
2010年10月5日
ザウバーは、2011年の小林可夢偉のチームメイトとしてセルジオ・ペレスと契約したことを発表した。
今年のGP2を2位で終えた20歳あるセルジオ・ペレスは、1997年から1981年までグランプリに参戦していたヘクター・アロンソ・レバーク以来のメキシコ人F1ドライバーとなる。
セルジオ・ペレスは、まだF1をドライブしたことはないが、2008年後半からGP2、GP2アジアに参戦し、2007年にはイギリスF3ネーションクラス選手権で優勝している。
今年のGP2を2位で終えた20歳あるセルジオ・ペレスは、1997年から1981年までグランプリに参戦していたヘクター・アロンソ・レバーク以来のメキシコ人F1ドライバーとなる。
セルジオ・ペレスは、まだF1をドライブしたことはないが、2008年後半からGP2、GP2アジアに参戦し、2007年にはイギリスF3ネーションクラス選手権で優勝している。
ザウバー、テルメックスとのスポンサー契約を発表
2010年10月5日
ザウバーは、テルメックスとのスポンサー契約を発表した。
テルメックス(Telmex)は、メキシコの大富豪カルロス・スリムがオーナーを務めるメキシコの電気通信会社。
今回の契約により、2011年からザウバーのマシンにテルメックスのロゴが掲載される。
テルメックス(Telmex)は、メキシコの大富豪カルロス・スリムがオーナーを務めるメキシコの電気通信会社。
今回の契約により、2011年からザウバーのマシンにテルメックスのロゴが掲載される。
小林可夢偉 「正直、鈴鹿はそんなに走っていないんです・・・」
2010年10月4日
小林可夢偉が、今週末に鈴鹿サーキットで開催されるF1日本グランプリに向けて、改めて決意を語った。
「正直に言いますけど、僕は鈴鹿を走った経験はそんなに多いわけではないんです(苦笑)」と語る小林可夢偉。
「2003年にフォーミュラトヨタで2回レースの週末があったのと、去年トヨタF1で金曜フリー走行で走ったこの3回だけ。それでも、すごく難しけど面白いコースだと思いました」
「正直に言いますけど、僕は鈴鹿を走った経験はそんなに多いわけではないんです(苦笑)」と語る小林可夢偉。
「2003年にフォーミュラトヨタで2回レースの週末があったのと、去年トヨタF1で金曜フリー走行で走ったこの3回だけ。それでも、すごく難しけど面白いコースだと思いました」
小林可夢偉:F1日本GPプレビュー
2010年10月2日
小林可夢偉が、母国レースとなるF1日本GPへの意気込みを語った。
小林可夢偉 (ザウバー)
「ここ7年間、日本ではあまり多くの時間を過ごしていませんが、僕は日本人だし、鈴鹿ラウンドはホームレースです。最後に日本でレースをしたのは17歳のときです。もちろん、去年トヨタでグランプリ前のフリープラクティスを走っているのでサーキットはかなり良く知っています。非常に素晴らしいサーキットですし、隅から隅まで好きですね。ラップ全体にわたってチャレンジングなトラックですね」
小林可夢偉 (ザウバー)
「ここ7年間、日本ではあまり多くの時間を過ごしていませんが、僕は日本人だし、鈴鹿ラウンドはホームレースです。最後に日本でレースをしたのは17歳のときです。もちろん、去年トヨタでグランプリ前のフリープラクティスを走っているのでサーキットはかなり良く知っています。非常に素晴らしいサーキットですし、隅から隅まで好きですね。ラップ全体にわたってチャレンジングなトラックですね」
ニック・ハイドフェルド:F1日本GPプレビュー
2010年10月2日
ニック・ハイドフェルドが、F1日本GPへの意気込みを語った。
ニック・ハイドフェルド (ザウバー)
「鈴鹿でレースをするのを本当に楽しみにしている。全てのF1サーキットのなかでもお気に入りのトラックだし、チームとの2回目のレース週末になるので、もちろんクルマについてより多くのことがわかっている。その上、僕は日本に行くのが本当に好きなんだ。今回は東京を訪れる予定はないけど、実際鈴鹿にもあまり行ったことがないので楽しみにしている。食べ物、文化、ファンの興奮が好きなんだ。彼らは日本GPをとても楽しんでいるし、それを見るのは本当に最高だ」
ニック・ハイドフェルド (ザウバー)
「鈴鹿でレースをするのを本当に楽しみにしている。全てのF1サーキットのなかでもお気に入りのトラックだし、チームとの2回目のレース週末になるので、もちろんクルマについてより多くのことがわかっている。その上、僕は日本に行くのが本当に好きなんだ。今回は東京を訪れる予定はないけど、実際鈴鹿にもあまり行ったことがないので楽しみにしている。食べ物、文化、ファンの興奮が好きなんだ。彼らは日本GPをとても楽しんでいるし、それを見るのは本当に最高だ」
小林可夢偉 Q&A : F1日本GPに向けて
2010年10月1日
小林可夢偉が、F1ドライバーとして鈴鹿での凱旋レースとなるF1日本GPへの意気込みを語った。
ホームレースは、あなたによってどのような意味がありますか?
F1ドライバーとして日本のレースに戻ることは多くの意味があります。去年、トヨタでティモ・グロックの代わりに金曜のプラクティスセッションに出たときにもそれを味わいました。去年は急なことでしたが、今年のレースは多くのサポーター来てくれそうです。ターン2とターン3の間には“小林可夢偉応援シート”があるんです。2000席以上ありますし、あっという間に完売しました。友人のためになんとかチケットを買うことができました。彼らが楽しんでくれることを願っています。
ホームレースは、あなたによってどのような意味がありますか?
F1ドライバーとして日本のレースに戻ることは多くの意味があります。去年、トヨタでティモ・グロックの代わりに金曜のプラクティスセッションに出たときにもそれを味わいました。去年は急なことでしたが、今年のレースは多くのサポーター来てくれそうです。ターン2とターン3の間には“小林可夢偉応援シート”があるんです。2000席以上ありますし、あっという間に完売しました。友人のためになんとかチケットを買うことができました。彼らが楽しんでくれることを願っています。
小林可夢偉、「スポーツ観光マイスター」に就任
2010年9月29日
小林可夢偉が9月29日(水)、観光庁より「スポーツ観光マイスター」に任命された。
その任命式が観光庁にて行われ、観光庁の溝畑宏観光庁長官から、観光マイスター任命状、ピンバッチ、そして小林可夢偉の名前が入った名刺を手渡された。
世界最高峰レース F1世界選手権を戦う小林可夢偉に対し、溝畑観光庁長官からは「モータースポーツを通じて人々に夢を与え、日本の魅力を世界にアピールする日本の顔として観光マイスターになってもらいたい」という思いが伝えられ、可夢偉も「世界中の人々に日本の良さを伝えていきたい」と抱負を語った。
その任命式が観光庁にて行われ、観光庁の溝畑宏観光庁長官から、観光マイスター任命状、ピンバッチ、そして小林可夢偉の名前が入った名刺を手渡された。
世界最高峰レース F1世界選手権を戦う小林可夢偉に対し、溝畑観光庁長官からは「モータースポーツを通じて人々に夢を与え、日本の魅力を世界にアピールする日本の顔として観光マイスターになってもらいたい」という思いが伝えられ、可夢偉も「世界中の人々に日本の良さを伝えていきたい」と抱負を語った。
小林可夢偉 「ポイントを獲りに行くためだったので後悔はない」
2010年9月29日
小林可夢偉が、クラシュリタイアに終わったF1シンガポールGPを振り返った。
「シンガポールGPはF1カレンダーで唯一のナイトレースですが、僕はGP2のカタールでナイトレースを走っているし、去年のアブダビGPも最後は夜だったので、夜走るということはそこまで気にしていませんでした」とシンガポールのレース週末の印象を語る小林可夢偉。
「シンガポールGPはF1カレンダーで唯一のナイトレースですが、僕はGP2のカタールでナイトレースを走っているし、去年のアブダビGPも最後は夜だったので、夜走るということはそこまで気にしていませんでした」とシンガポールのレース週末の印象を語る小林可夢偉。
ザウバー:小林可夢偉 「明らかに僕のミス」 (F1シンガポールGP)
2010年9月27日
ザウバーは、F1シンガポールGPの決勝レースで小林可夢偉、ニック・ハイドフェルドともにリタイアに終わった。
小林可夢偉 (リタイア)
「完全に僕のミスです。ミハエル・シューマッハを抜いた後、1ポイントを獲得するためにはもう限界でプッシュをするしかなかったのは分かっていましたが、その時点ではタイヤが完全にグリップを失っていました。あのコーナーでは判断を誤ってバリヤにクラッシュしてしまいました。そのあとブルーノ・セナも僕のクルマに追突してきました」
小林可夢偉 (リタイア)
「完全に僕のミスです。ミハエル・シューマッハを抜いた後、1ポイントを獲得するためにはもう限界でプッシュをするしかなかったのは分かっていましたが、その時点ではタイヤが完全にグリップを失っていました。あのコーナーでは判断を誤ってバリヤにクラッシュしてしまいました。そのあとブルーノ・セナも僕のクルマに追突してきました」