ルイス・ハミルトン、バトンのマクラーレン加入を歓迎
2009年11月19日

ルイス・ハミルトン
「ジェンソンがボーダフォン・マクラーレン・メルセデスに加わることを決断したのは、素晴らしいニュースだ。ワールドチャンピオンに勝つ競争力のあるクルマで2010年シーズンをスタートできるように彼とエンジニアたちと働くことを楽しみしている。でも、2008年から09年のチームメイトであり、親友のヘイキ・コバライネンの今後の活躍を願っている。彼は今まで会ったなかで最高の人間だ」
マクラーレン、ジェンソン・バトンとの契約を正式発表
2009年11月18日

2010年のマクラーレンは、ジェンソン・バトンとルイス・ハミルトンという2人のワールドチャンピオンがコンビを組む。ワールドチャンピオンの移籍によりマクラーレンは再びカーナンバー1を走らせることになる。
2000年にウィリアムズからF1デビューを果たしたジェンソン・バトンにとって、2010年シーズンはF1での11シーズン目となり、マクラーレンは7つ目のチームとなる。
シルバー・アローとメルセデス
2009年11月18日

シルバー・アローの誕生は、現代のF1グランプリが始まる前の1934年まで遡る。その年、最大重量750キログラムというグランプリカーの新しい車両規定がスタートした。
メルセデスは、6月の国際アイフェル・レースにアルミボディを採用した“W25”を送り込む。当時のグランプリでは、各チームがマシンにそれぞれの国のナショナルカラーを施しており、メルセデスW25はドイツのナショナルカラーである白色に塗られていた。
ジェンソン・バトン、マクラーレン移籍をまもなく発表か
2009年11月17日

ガーディアン紙は、ジェンソン・バトンがマクラーレンと3年1,800万ポンドの契約を締結したと報道。
デイリーメールは、今週中にバトンのマクラーレン移籍が成立するとしている。
マクラーレン、メルセデスからチーム株式を買い戻し
2009年11月17日

マクラーレンは声明で「マクラーレン・グループは、2011年までに完了される構造化された契約においてダイムラーAGが所有する40%の株式を段階的に買い戻していく。その結果、マクラーレンは完全に独立した企業となる」と説明。
メルセデス・ベンツは、ブラウンGPを買収した新たなチームであるメルセデスGPのマシンが“シルバーアロー”になることを発表している。
マクラーレン、メルセデス・ベンツとの合意を歓迎
2009年11月17日

メルセデス・ベンツは、ブラウンGPを買収し、マクラーレンとの独占契約を終了させることを発表した。
それによって、マクラーレンはこれまでのようにメルセデス・ベンツからの財政支援を受けないことになるが、ロン・デニスは、自身の自動車メーカーであるマクラーレン・オートモーティブがチームを運営することは利益になると語る。
メルセデス・ベンツ、マクラーレンとのエンジン契約を2015年まで更新
2009年11月17日

メルセデス・ベンツは、ブラウンGPを買収し、メルセデスGPとしてフルワークス参戦を発表。2010年以降、マクラーレンはメルセデスのワークスチームではなくなるが、1995年から始まったメルセデスとのパートナーシップは継続されることになる。
メルセデス・ベンツとマクラーレンは、2015年末までエンジン契約を延長することで合意。契約には、それ以降も契約を延長するオプションが含まれる。
ジェンソン・バトン、マクラーレンを訪問
2009年11月14日

ジェンソン・バトンは、日本での休暇を終え、ヒースロー空港に到着。マクラーレンの広報はバトンが「ワーキングに挨拶に立ち寄った」ことを明らかにしている。
また、ガーディアン紙は、ジェンソン・バトンのマネージャーであるリチャード・ゴダードも、マクラーレンのチーム代表であるマーティン・ウィットマーシュにファクトリーを案内してもらったと報じている。
キミ・ライコネン、マクラーレンとの交渉を再開か
2009年11月13日

キミ・ライコネンは、フェラーリとの契約を1年はやく終了。来季のシートが決まっていないライコネンは「F1に残るのであれば選択肢はマクラーレンだけ」と語っている。