セルジオ・ペレス 「状況を変えられる自信はある」

2013年10月21日
セルジオ・ペレス (マクラーレン)
セルジオ・ペレスが、F1インドGPへの意気込みを語った。

セルジオ・ペレス (マクラーレン)
「インドを旅するのは大好きだ。とても豊かで活気に満ちた国だし、どんな訪問客にとっても目を見張らせるような場所だ。インドGPは、過去2年間、興味深くエキサイティグなイベントだった。実際、国に名を残し始めていると思う。観客の入りもいいし、関心を持ってくれている。熱狂的で、情熱的だ。それを観るのはいつも素晴らしいことだ」

ストフェル・バンドーン、トロ・ロッソからの誘いを断る

2013年10月19日
ストフェル・バンドーン
ストフェル・バンドーンは、2014年のドライバーとしてトロ・ロッソから誘いがあったことを明らかにした。

来年ダニエル・リカルドがレッドブルに移籍することで、トロ・ロッソには空席ができている。

マクラーレンのチーム代表マーティン・ウィットマーシュは、フォーミュラ・ルノー3.5に参戦する育成ドライバーのケビン・マグヌッセンとストフェル・バンドーンのためにF1シートを探していることを明らかにしている。

メルセデス 「2014年もマクラーレンを他のカスタマーと同様に扱う」

2013年10月17日
メルセデス 2014年 F1エンジン
マクラーレンとメルセデスのエンジン契約は2014年で最後を迎えることが決定しているが、メルセデスはマクラーレンを2級のカスタマーとして扱うことはないと約束した。

マクラーレンは、2015年からホンダとの提携が決定しており、19年間に及ぶメルセデスとのエンジンパートナーシップは2014年末で終止符を打つ。

マクラーレン 「ホンダはフェルナンド・アロンソの起用を望んでいる」

2013年10月13日
フェルナンド・アロンソ
マクラーレンのチーム代表マーティン・ウィットマーシュは、ホンダが2015年にフェルナンド・アロンソにエンジンを走らせてもらいたいと考えていると認めた。

フェルナンド・アロンソは、フェラーリへの不満を強めているされるなか、マーティン・ウィートマーシュの発言は、アロンソのマクラーレン移籍の噂を引き起こした。

マクラーレン:ジェンソン・バトンが9位入賞 (F1日本GP)

2013年10月13日
マクラーレン F1日本GP 結果
マクラーレンは、F1日本GPの決勝レースで、ジェンソン・バトンが9位、セルジオ・ペレスが15位だった。

ジェンソン・バトン (9位)
「レースの最初の2つのスティントはアンダーステアが酷くてかなり難しかった。僕のミスだった。グリッドにつくラップでフロントエンドがあまりに多いように感じたので、若干ウイングを少なくした。間違った行為だった。アンダーステアが多いままになってしまい、フロントをロックさせ続けてフロントタイヤを壊してしまった」

マクラーレン:ジェンソン・バトンがQ3進出 (F1日本GP 予選)

2013年10月12日
マクラーレン F1日本GP 予選
マクラーレンは、F1日本GPの予選で、ジェンソン・バトンが10番手、セルジオ・ペレスが11番手だった。

ジェンソン・バトン (10番手)
「鈴鹿のQ3は楽しみたいものだ。それがまさに僕がしたことだ。あれ以上は速く走れなかった。Q2とQ3での3ラップはほぼ同一だったし、10番手は今日僕たちがここで得ることができた良い結果だ」

ジェンソン・バトン F1日本GP 特別ヘルメット

2013年10月12日
ジェンソン・バトン F1日本GP ヘルメット
ジェンソン・バトンは、F1日本GPのために特別なデザインを施したヘルメットを用意した。

鈴鹿サーキットを“第二のホームサーキット”と称するジェンソン・バトン。

今回、ヘルメットには日本で観戦した相撲に感銘を受け、頭頂部に“相撲レスラー”のペイントが入れられた。

マクラーレン:F1日本GP 初日のコメント

2013年10月11日
マクラーレン F1日本GP
マクラーレンは、F1日本GPの初日にフリー走行を、ジェンソン・バトンが9番手、セルジオ・ペレスが16番手で終えた。

ジェンソン・バトン (9番手)
「このサーキットを走れて最高の気分だ。一日を通してたくさんのドライバーがミスを犯しているのを見たけど、それがこの場所の特徴だ。情け容赦ない。確かに、チェコのようなアクシデントは見たくないけど、このような場所を尊重しなきければならないことを理解してほしい」

ジェンソン・バトン 「鈴鹿は第二のホームサーキット」

2013年10月8日
ジェンソン・バトン (マクラーレン)
ジェンソン・バトンが、F1日本GPにむけて鈴鹿サーキット、そして日本の印象を語った。

ジェンソン・バトン (マクラーレン)
「鈴鹿は第二のホームサーキットのように感じている。2011年の優勝は最も感動的な勝利のひとつのままだ。東日本を襲った恐ろしい津波の後の初めての日本GPだったからね。国全体にとって非常に重要なイベントだった」
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