F1マシン列伝:マクラーレン・ホンダ MP4/4 “F1黄金時代の象徴”

2020年5月8日
F1マシン列伝:マクラーレン・ホンダ MP4/4 “F1黄金時代の象徴”
マクラーレンの1998年F1マシン『マクラーレン・ホンダ MP4/4』は、16戦15勝という圧倒的な強さ、セナプロ対決の名バトルなど、F1黄金時代を象徴する1台として歴史に名が刻まれている。

ホンダのF1エンジンが独走状態となったことで、FIA(国際自動車連盟)は1988年限りでターボを禁止し、1989年からの3.5リッター 自然吸気エンジンを導入することを決定した。

レッドブル・ホンダF1、セルヒオ・アグエロをF1バーチャルGPに起用

2020年5月7日
レッドブル・ホンダF1、セルヒオ・アグエロをF1バーチャルGPに起用 / マンチェスターシティ
レッドブル・ホンダF1は、バーチャル・スペインGPにマンチェスターシティ所属のアルゼンチン代表サッカー選手であるセルヒオ・アグエロをアレクサンダー・アルボンのチームメイトとして起用することを発表した。

セルヒオ・アグエロは、4つのプレミアリーグタイトル、オリンピック金メダル、2014/15シーズンのプレミアリーグゴールデンブーツ(得点王)など、20のトロフィーを獲得しているサッカー界のスーパースター。

ホンダF1の歴史:第3期 「38年ぶりのホンダ単独チーム体制へ」

2020年5月7日
ホンダF1の歴史:第3期 「38年ぶりのホンダ単独チーム体制へ」
1998年3月、ホンダはF1レース活動復帰に向けて、具体的な検討に入ったことを公表した。今度は第2期のエンジン開発・供給体制に加えて、新たに車体の開発・製造、およびチーム運営までを含めた総合的なレース活動を行うことを目指し、厳しい極限へのチャレンジを通じた若い技術者の育成、最先端技術の蓄積を狙いとした。

そして、2000年よりF1復帰。参戦2年目の若いチームB・A・R(ブリティッシュ・アメリカン・レーシング)とパートナーシップを組み、エンジン供給および車体の共同開発という新たなスタイルでのF1参戦となった。

レッドブル・ホンダF1、予算上限の取り締まりを改めて疑問視

2020年5月7日
レッドブル・ホンダF1、予算上限の取り締まりを改めて疑問視
レッドブル・ホンダF1のチーム代表であるクリスチャン・ホーナーは、また、クリスチャン・ホーナーは、予算上限をさらに引き下げようとするライバルチームの試みを批判。FIAはそれをしっかりと取り締まることはできないと語る。

また、クリスチャン・ホーナーは、フェラーリが2019年のF1パワーユニットを巡ってFIAと秘密の和解に達したことにまだ不満を抱いている。「人々の口に苦い味を残した」と Telegraph に語る。

レッドブル・ホンダF1、動画『Dutch Road Trip』制作の舞台裏

2020年5月6日
レッドブル・ホンダF1、動画『Dutch Road Trip』制作の舞台裏
レッドブル・ホンダF1は、マックス・フェルスタッペンとアレクサンダー・アルボンが登場するF1オランダGPのプロモーション動画『Dutch Road Trip: From Port to Zandvoort』の製作の舞台裏を語った。

過去数年、多くのオランダ人ファンがフェルスタッペンを応援するために世界を巡ってきた。すべての開催地を最大限に楽しみながらヒーローに大きな声援を送っている彼ら “オレンジ軍団” は、F1のパーティムードを体現する存在だ。

ホンダF1の歴史:第2期 「最強のエンジン・サプライヤーへの道」

2020年5月6日
ホンダF1の歴史:第2期 「最強のエンジン・サプライヤーへの道」
「レースはホンダの企業文化です。勝ち負けではなく、ホンダ車に乗っていただいているお客さまに、最高の技術をお見せするため、そして楽しんでいただくため、レース活動を再開します」1978年新年の記者会見で、社長の河島喜好はホンダのレース復帰を発表した。

1977年の春、マスキー法に代表される大気汚染防止対策が、CVCCの研究開発により見通しが得られた。

マックス・フェルスタッペン 「すぐにタイトル争いをする準備は万全」

2020年5月5日
マックス・フェルスタッペン 「すぐにタイトル争いをする準備は万全」 / レッドブル・ホンダF1
レッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンは、2020年のF1世界選手権が再開すれば、すぐにタイトル争いに取り掛かる準備はできていると語る。

マックス・フェルスタッペンは、5月3日(月)にモナコの自宅からオーストリアのテレビ局ServusTVの番組Sport&Talkにゲスト出演。新型コロナウイルスによるロックダウンによって自主隔離生活を余儀なくされているが、体調は万全だと語った。

ホンダF1の歴史:第1期 「やるなら頂点を目指す。信念のF1チャレンジ」

2020年5月5日
ホンダF1の歴史:第1期 「やるなら頂点を目指す。信念のF1チャレンジ」
世界最大のエンジンメーカーであり、最も多くの国際モータースポーツに参加している自動車メーカーであるホンダのモータースポーツの歴史は、22歳で独立し、修理工場を経営し始めた創始者、本田宗一郎が自らの手で創ったレーシングカーでレースに出場したことに始まる。

1936年にはピストンリングの生産を始めて、修理工場から製造業へ転身、48年にはモーターサイクルの製造を開始し、本田技研工業株式会社が誕生した。

F1マシン列伝:ホンダ RA106 “オールホンダとして最後に勝ったマシン”

2020年5月4日
F1マシン列伝:ホンダ RA106 “オールホンダとして最後に勝ったマシン”
ホンダF1の2006年F1マシン『RA106』は、オールホンダの復活を告げる1台だった。

1999年、第3期としてシャシー製造を含めたフルワークスによるF1参戦を目指していたホンダだが、テスト中に当時テクニカルディレクターを務めていたハーベイ・ポスルスウェイトがバルセロナでのテスト中に急死したこと、またホンダ社内に根強く残る慎重論などを背景に、結局ホンダはフルワークスによる参戦を断念。
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