レッドブルF1 「新型コロナウイルスが理由でF1を撤退することはない」

2020年5月11日
レッドブルF1 「新型コロナウイルスが理由でF1を撤退することはない」
レッドブルのF1チーム代表を務めるクリスチャン・ホーナーは、新型コロナウイルスの発生によってレッドブルがF1から撤退することはないと明言。さらにレッドブルは独自のジュニアプログラムにも引き続き力を入れていくと述べた。

新型コロナウイルスの大流行により、2020年のF1世界選手権は最初の10戦が中止となり、レースが開催されず、収入が得られないことでF1チームの消滅さえも危惧され始めている。

アラン・プロスト、レッドブル・ホンダF1の躍進を予想

2020年5月9日
アラン・プロスト、レッドブル・ホンダF1の躍進を予想
元F1ワールドチャンピオンのアラン・プロストは、2020年のF1世界選手権が開幕すれば、レッドブル・ホンダF1の競争力を目にすることになるかもしれないと語る。

2月のプレシーズンテストでは、王者メルセデスが強さをみせた。だが、どのチームがメルセデスに対抗する競争力を見せるかはまだはっきりしていない。

ダニール・クビアト 「アルボンのレッドブル昇格は納得できなかった」

2020年5月9日
ダニール・クビアト 「アルボンのレッドブル昇格は納得できなかった」 / レッドブル・ホンダF1
ダニール・クビアトは、2019年中旬に自分ではなくチームメイトでルーキーのアレクサンダー・アルボンがレッドブル・ホンダに昇格する決定に驚いたと認める。

ダニール・クビアトは、2015年にレッドブルに昇格したが、2016年に4戦を戦った後、当時ルーキーだったマックス・フェルスタッペンと交代するかたちでトロロッソに降格。その後レッドブル・ファミリーを離れたが、昨年、再びトロロッソでF1グリッドに復帰している。

マックス・フェルスタッペンは80年代のF1マシンなら3~4回は死んでいた

2020年5月8日
マックス・フェルスタッペンは80年代のF1マシンなら3~4回は死んでいた / ブルーノ・ジャコメリ談
レッドブル・ホンダのF1ドライバーであるマックス・フェルスタッペンは、そのアグレッシブなドライビングスタイルがトレードマークとなっているが、元マクラーレンのF1ドライバーであるは、F1の近代的な安全改革が実施する以前にはそれは不可能だったと考えている。

1977年~1983年、そして、1990年にF1に参戦したブルーノ・ジャコメリは、F1の時代の違いについてマックス・フェルスタッペンを例に挙げて語った。

ダニール・クビアト 「フェラーリをテストするまでF1復帰を諦めていた」

2020年5月8日
ダニール・クビアト 「フェラーリをテストするまでF1復帰を諦めていた」 / アルファタウリ・ホンダF1
アルファタウリ・ホンダのF1ドライバーであるダニール・クビアトは、レッドブルのプログラムを外されたことでF1復帰をほぼ諦めていたが、2018年中旬にフェラーリのF1マシンをテストしたことで再びF1でレースをしたいという願望が再熱したと語る。

レッドブルのジュニアプログラムで育ってきたダニール・クビアトは、2014年にトロロッソでF1にステップをアップを果たし、翌年にはセバスチャン・ベッテルの後任としてレッドブル・レーシングに昇格した。

F1マシン列伝:マクラーレン・ホンダ MP4/4 “F1黄金時代の象徴”

2020年5月8日
F1マシン列伝:マクラーレン・ホンダ MP4/4 “F1黄金時代の象徴”
マクラーレンの1998年F1マシン『マクラーレン・ホンダ MP4/4』は、16戦15勝という圧倒的な強さ、セナプロ対決の名バトルなど、F1黄金時代を象徴する1台として歴史に名が刻まれている。

ホンダのF1エンジンが独走状態となったことで、FIA(国際自動車連盟)は1988年限りでターボを禁止し、1989年からの3.5リッター 自然吸気エンジンを導入することを決定した。

レッドブル・ホンダF1、セルヒオ・アグエロをF1バーチャルGPに起用

2020年5月7日
レッドブル・ホンダF1、セルヒオ・アグエロをF1バーチャルGPに起用 / マンチェスターシティ
レッドブル・ホンダF1は、バーチャル・スペインGPにマンチェスターシティ所属のアルゼンチン代表サッカー選手であるセルヒオ・アグエロをアレクサンダー・アルボンのチームメイトとして起用することを発表した。

セルヒオ・アグエロは、4つのプレミアリーグタイトル、オリンピック金メダル、2014/15シーズンのプレミアリーグゴールデンブーツ(得点王)など、20のトロフィーを獲得しているサッカー界のスーパースター。

ホンダF1の歴史:第3期 「38年ぶりのホンダ単独チーム体制へ」

2020年5月7日
ホンダF1の歴史:第3期 「38年ぶりのホンダ単独チーム体制へ」
1998年3月、ホンダはF1レース活動復帰に向けて、具体的な検討に入ったことを公表した。今度は第2期のエンジン開発・供給体制に加えて、新たに車体の開発・製造、およびチーム運営までを含めた総合的なレース活動を行うことを目指し、厳しい極限へのチャレンジを通じた若い技術者の育成、最先端技術の蓄積を狙いとした。

そして、2000年よりF1復帰。参戦2年目の若いチームB・A・R(ブリティッシュ・アメリカン・レーシング)とパートナーシップを組み、エンジン供給および車体の共同開発という新たなスタイルでのF1参戦となった。

レッドブル・ホンダF1、予算上限の取り締まりを改めて疑問視

2020年5月7日
レッドブル・ホンダF1、予算上限の取り締まりを改めて疑問視
レッドブル・ホンダF1のチーム代表であるクリスチャン・ホーナーは、また、クリスチャン・ホーナーは、予算上限をさらに引き下げようとするライバルチームの試みを批判。FIAはそれをしっかりと取り締まることはできないと語る。

また、クリスチャン・ホーナーは、フェラーリが2019年のF1パワーユニットを巡ってFIAと秘密の和解に達したことにまだ不満を抱いている。「人々の口に苦い味を残した」と Telegraph に語る。
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