シューマッハ、バリチェロの発言に反論

2008年11月17日
ミハエル・シューマッハとルーベンス・バリチェロ
ミハエル・シューマッハは、バリチェロのいつかフェラーリ時代暴露本を出版するとの発言に反論した。

ルーベンス・バリチェロは、シューマッハのチームメイトとして、フェラーリに6年間在籍した。その間に、シューマッハじゃ、彼が獲得した7度のドライバーズタイトルのうちの5つを獲得した。

同期間で、バリチェロはたった9回のレースに勝っただけだが、シューマッハは、バリチェロの成功するチャンスを与えられなかったという主張に反論した。

国本京佑、マカオGP優勝

2008年11月16日
国本京佑 マカオGP 優勝
国本京佑が、F3世界一決定戦であるマカオGPで優勝した。マカオGPでの日本人の優勝は、2001年の佐藤琢磨以来、2人目となる。

トヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム (TDP)の所属ドライバーである国本京佑は、トムスより参戦。前日の予選レースで2位につけた国本は、クラッシュにより2度のセーフティカーが出動する荒れたレースを見事に制した。

エイドリアン・スーティルの2009年シートは安泰

2008年11月16日
エイドリアン・スーティル
エイドリアン・スーティルのマネージャーは、スーティルの2009年F1残留は危ないという噂を否定した。

最近フォース・インディアがマクラーレン・メルセデスとの提携を発表し、レースドライバーの最終決定にはマクラーレンの影響が及ぶのではないかとの憶測が広まっている。

マクラーレン・メルセデスが支援するDTMレーサーのポール・ディ・レスタ、またはマクラーレンのファースト・テストドライバーであるペドロ・デ・ラ・ロサが、スーティルあるいはジャンカルロ・フィジケラと交代するのではと噂されている。

ロズベルグ、「2009年がウィリアムズでの最後のチャンス」

2008年11月16日
ニコ・ロズベルグ
ニコ・ロズベルグは、ウィリアムズが2009年に競争力のなるマシンを与えなかった場合、2010年はウィリアムズを離れるつもりだと語った。

ニコ・ロズベルグは、2年前はグリッドで最も成長が期待される若手の1人だった。しかし、2008年のウィリアムズのマシンでは、ロズベルグがドライバーチャンピオンシップを13位で終えるのがやっとだった。

来年でウィリアムズの4年目となるロズベルグだが、2009年がウィリアムズに残る最後のチャンスだと主張する。

バリチェロ、バルセロナテストから外れる

2008年11月16日
ルーベンス・バリチェロ
2009年にホンダのシートを確保する可能性が薄れているルーベンス・バリチェロだが、さらにその可能性は低くなった。

ホンダは、来週のバルセロナで開催される2009年シーズンに向けて初テストに4人のドライバーが参加することを発表した。その中に、ルーベンス・バリチェロの名はなかった。

ホンダは、レースドライバーのジェンソン・バトン、正テストドライバーのアレキサンダー・ブルツ、そして、来年バリチェロのシートに座る可能性が高いブルーノ・セナとルーカス・ディ・グラッシが参加することを発表した。

バーニー・エクレストン、「決して引退するつもりはない」

2008年11月16日
バーニー・エクレストン
バーニー・エクレストンは、F1最高権威の座から引退するつもりはないと主張している。

現代のF1における商業上の成功をおさめ、今日も大株主としてF1界に君臨するバーニ・エクレストン(78歳)は、永久に働き続けるつもりだと明かした。

後継者にいつ支配権を譲るのか質問されたバーニーは、「絶対、絶対、決して引退はしない。私が仕事に行かない日は、墓に入る日だ」と主張。

KERS導入を支える企業

2008年11月16日
F1 KERS
F1チームは、来年から導入されることになるKERSの開発に関して、サードパーティーの連携を活性化させていくことになるだろう。

マクラーレンは、KERS導入の2年目となる2010年からモトローラのスピンオフ企業であるフリースケール・セミコンダクター社と提携することを発表した。

さらにドイツの大手技術企業ボッシュは、電気的KERSシステムについて、各種レーシングシリーズのチームと交渉していることを認めた。

F1動画:セバスチャン・ローブ、レッドブル RB4をドライブ

2008年11月16日
セバスチャン・ローブ
5度のWRCチャンピオンであるセバスチャン・ローブがイギリスのシルバーストンでRB4での初走行を行った。

ローブはその後バルセロナテストに参加し、他のF1ドライバーとともにトラックテストを実施する。

動画では、レッドブル・テクノロジー社でのシート合わせの様子や、シルバーストンでの走行の模様が撮影されている。

F1カナダGPの消滅が決定的に

2008年11月16日
F1 カナダGP 消滅
F1カナダGP存続に向けての交渉は決裂。今後のF1カナダGPに対する救済は行われないことになった。

16日(日)、モントリオール市のジェラルド・トランブレー市長と、ケベック州のレイモンド・バシャン経済開発大臣、そして交渉役として活動を続けていたカナダのマイケル・ フォルティエ元国際貿易相が会見を開き、この事実が明らかになった。

バーニー・エクレストンOとの間で、何週間にも及ぶ話し合いが行われ、政府、州、市の支援、そしてモントリオールのホテル協会からは1%のルームチャージ料増額など、F1唯一の北米ラウンドを守るための最終的な救済案が14日(木)に提出された。
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