バーニー・エクレストン、2012年のF1ロシアGP開催を目指す

2010年4月7日
バーニー・エクレストン
バーニー・エクレストンは、今年の韓国GP開催、2011年のインドGPに続き、2012年にロシアGP、そして2013年にはニューヨークでの公道レースを開催する予定であることを明らかにした。

F1ロシアGP開催についてはこれまでも何度が話題になっており、10年前にはアロウズのトム・ウォーキンショーが絡んでいた。

今年、ヴィタリー・ペトロフがロシア人初のF1ドライバーとしてデビューしたことでロシアでのF1への関心は高まっており、バーニー・エクレストンはチャンスがきたと感じている。

ハイメ・アルグエルスアリ、シューマッハに感謝

2010年4月7日
ハイメ・アルグエルスアリ
ハイメ・アルグエルスアリは、マレーシアGPでF1初ポイントを取れたのはミハエル・シューマッハから受けたドライビングレッスンのおかげだと語る。

ハイメ・アルグエルスアリは、第2戦オーストラリアGPでフロントウイングを失い後方に下がったミハエル・シューマッハと20周にも及ぶバトルを展開。小さなミスで追い越されるまでシューマッハを抑えこんだ。

続く第3戦マレーシアGPでは、ヴィタリー・ペトロフやニコ・ヒュルケンベルグを相手にアグレッシブなドライビングをみせ、自身F1初ポイントを獲得。

ミハエル・シューマッハ、GPDAに再加入

2010年4月7日
ミハエル・シューマッハ
ミハエル・シューマッハがF1ドライバーの組合であるGPDAに再加入したことをマネージャーのザビーネ・ケームが明らかにした。

先月、ザビーネ・ケームは「彼は何年間もその分野をリードしてきましたから。実際、彼は現在、他のドライバーに引き継いで続けてもらうことを望んでます」とコメントしており、シューマッハはGPDAの加入に躊躇しているとされていた。

ルーベンス・バリチェロ、自身の発言を弁明

2010年4月7日
ルーベンス・バリチェロ
ルーベンス・バリチェロがウィリアムズとヴァージンのクルマを不適切な言葉で批判したとブラジルのメディアが報じていたが、バリチェロはこの報道について弁明した。

バリチェロは、マレーシアGPのレース後、ウィリアムズとヴァージンのクルマを“ガラクタ”や“ゴミ”を意味するポルトガル語である“porcarias”と表現していたと報じられていた。

ルノー、さらなる進歩に自信

2010年4月7日
ルノー
ルノーのチーフ・レースエンジニアを務めるアラン・パーマンは、ルノーが来週の中国GPでさらなる進歩を遂げられると確信している。

ルノーはシーズン序盤でトップ集団を争い、オーストラリアGPではロバート・クビサが2位表彰台を獲得するなど、サプライズのひとつとなった。

アラン・パーマンは、ルノーは風洞作業のおかげで中国GPで進歩を続けることができると考えている。

F1チーム、インドGPのサーキット設計に貢献

2010年4月6日
インドGP
F1チームが、インドの新しいサーキットの設計に貢献したという。

インドGPに向けて、サーキットは2009年11月からインドの首都デリー近郊で工事が始まっており、レイアウトは、ヘルマン・ティルケの会社が請け負っている。

バーニー・エクレストンと10年間のプロモーター契約を結んだJaypeeの責任者であるマーク・ヒューズは、F1チームがカレンダーでモンツァに次ぎ最速になるであろうトラックの形状に関与したと語る。

ルノー 「ロバート・クビサは大きな財産」

2010年4月6日
ロバート・クビサ ルノー
ルノーのチーム代表エリック・ブーリエは、ロバート・クビサがルノーの序盤戦での好調なパフォーマンスにおいて重要な要因となっていると語る。

ロバート・クビサはオーストラリアGPで2位表彰台を獲得するなどの活躍をみせており、現在ルノーは、レッドブル、フェラーリ、マクラーレン、メルセデスGPの4強に次ぐ存在となっている。

クビサはマレーシアGPでも4位でフィニッシュし、ドライバーズランキングで首位のフェリペ・マッサから9ポイント差で7位につけている。

ペーター・ザウバー 「ウィリー・ランプに申し訳ない」

2010年4月6日
ザウバー
ペーター・ザウバーは、これまでテクニカルディレクターを務めてきたウィリー・ランプの最後のレースがダブルリタイアに終わってしまったことを申し訳なく思っていると語った。

冬季テストでは好調にみえたC29だが、開幕3戦ではペースに苦労している。

マレーシアGPでは、ペドロ・デ・ラ・ロサのマシンはフォーメーションラップでエンジンが故障。小林可夢偉のエンジンも9周目で白煙を吹いた。

ミシュラン 「F1復帰はまだ未決定」

2010年4月6日
ミシュラン
ミシュランは、2011年にタイヤサプライヤーとして2011年にF1復帰することを検討していることを認めた。

先週末のマレーシアでは、F1チーム代表とバーニー・エクレストンが会議を行い、ブリヂストンの撤退をどのように処理するかを詳細に議論した。

ミュシュランは、ミシュランと激しいタイヤ戦争を繰り広げたあと、単独サプライヤーになることに興味を示さず、2006年末にF1から撤退した。
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