フェルナンド・アロンソ:F1オーストラリアGPプレビュー
2011年3月24日
![フェルナンド・アロンソ](https://f1-gate.com/media/2000/20110324-alonso.jpg)
フェルナンド・アロンソ (フェラーリ)
ついにこの瞬間がやってきた! 開幕戦が待ち遠しかったし、バーレーンGPの延期によってさらに長く待つことになった。確かに、エンジニアと準備する時間はできたし、作業も慌てることなくできたけど、僕たちドライバーとしては、仲間の全員がそうだと思うけど、再びレースをしたいという想いがとても強くなっている。
F1ドライバー、日本への支援を協議
2011年3月24日
![F1ドライバー 小林可夢偉 日本](https://f1-gate.com/media/2000/20110323-kamui.jpg)
日本に地震・津波が発生した直後からF1ドライバーを含めた多くのF1関係者が日本へ応援メッセージを送っている。
トロ・ロッソのセバスチャン・ブエミは「金曜日のドライバーズミーティングで、どのような支援ができるか話し合う」と Blick にコメント。
ダニエル・リカルド 「必要であればレースをする準備はできている」
2011年3月24日
![ダニエル・リカルド](https://f1-gate.com/media/2000/20110324-ricciardo.jpg)
ダニエル・リカルドは、今年トロ・ロッソのリザーブドライバーとして契約。今シーズンの全グランプリの金曜フリー走行1回目に出走する予定となっている。
何らかの理由でセバスチャン・ブエミかハイメ・アルグエルスアリがレースに出場できない場合、サードドライバーのダニエル・リカルドが代役を務めることになるが、リカルドはチャンスがあればレースに挑む準備はできていると語る。
F1中国GP、レース開催にゴーサイン
2011年3月24日
![F1中国GP](https://f1-gate.com/media/2000/20110324-china.jpg)
F1中国GPの舞台となる上海国際サーキットでは、新ライセンス発行前にFIAから排水システムとトラック路面の改善を要求されており、カレンダーのF1中国GPには「サーキットの承認が必要」との注釈がついていた。
改修は、コースの排水能力向上と地盤沈下への対策だったとみられているが、FIAレースディレクターであるチャーリ・ホワイティングが21日(月)に上海国際サーキットを査察。2011年のグランプリ開催にゴーサインを出した。
ウィリアムズ、ランスタッドとのスポンサー契約を更新
2011年3月24日
![ウィリアムズ ランスタッド](https://f1-gate.com/media/2000/20110330-randstad.jpg)
ランスタッドは、1960年にオランダで設立され、世界43ヶ国に4,100以上の拠点を持つ、世界最大級の総合人材サービス企業。2006年からウィリアムズのスポンサーを務めており、コックピット周りやチームウェアにロゴが掲載されていた。
山本左近、ヴァージンとリザーブドライバー契約
2011年3月23日
![山本左近](https://f1-gate.com/media/2000/20110323-sakon.jpg)
山本左近は、今週末の開幕戦オーストラリアGP、および来月の第2戦マレーシアGPと第3戦中国GPで、ティモ・グロックとジェローム・ダンブロシオのバックアップを務める。
ヒスパニア・レーシング 「F1スペインGPでアップデートを投入する」
2011年3月23日
![ヒスパニア・レーシング F111](https://f1-gate.com/media/2000/20110324-f111.jpg)
ヒスパニア・レーシングは、昨年まったくマシンにアップデートを施しておらず、特殊なウイングが必要なモナコや高速のモンツァでさえ、開幕時と同じウイングで走っていた。
セバスチャン・ブエミ 「トロ・ロッソはトップ5にいる」
2011年3月23日
![セバスチャン・ブエミ トロ・ロッソ](https://f1-gate.com/media/2000/20110323-buemi.jpg)
トロ・ロッソの2011年F1マシン「STR6」は、冬季テストにおいてそのペースだけでなく革新的な“ダブルフロア”のコンセプトでも注目を集めた。
セバスチャン・ブエミは「正直にいって、かなり競争力がありそうだ」と Le Matin にコメント。
佐藤琢磨のチームメイトにトニー・カナーン
2011年3月23日
![佐藤琢磨](https://f1-gate.com/media/2000/20110323-takuma.jpg)
昨年アンドレッティ・オートスポーツを放出されたトニー・カナーンは、2011年にド・フェラン・ドラゴン・レーシングで参戦することが発表されていた。しかし、スポンサー不足などにより同チームは撤退。トニー・カナーンはシートを失っていた。