カタール、F1テストとレース開催を目指す

2012年10月22日
カタール F1
カタールは、F1の新たな開催国になろうとプッシュしている。

首都ドーハ近郊に位置するロサイル・インターナショナル・サーキットはすでにMotoGPのナイトレースの舞台となっている。

カタール自動車レース連盟のナサール・ビン・ハリーファ・アル・アッティヤ会長は、ロサイルが「F1チームのプレシーズンテストやその他のアクティビティを主催できるライセンスを取得するため」に動いていると認めた。

ニキ・ラウダ、マネー・サービス・グループの裁判で証言

2012年10月19日
ニキ・ラウダ
ニキ・ラウダは、破綻したキャップスポンサーのマネー・サービス・グループの創設者への裁判で証言するためにリヒテンシュタインの裁判所を訪れた。

昨年ニキ・ラウダは、マネー・サービス・グループのオーナーであるマイケル・ザイドルが詐欺で逮捕されるまで同社のロゴをキャップに掲載していた。

ドイツ紙の報道によると、ニキ・ラウダは、約束された120万ユーロ(約1億2446万円)のうち40万ユーロ(約4148万円)しか受け取っていないと報道。

SUPER GT、2014年からDTMとの車両規則の統一に合意

2012年10月17日
SUPER GT DTM
SUPER GTのシリーズプロモーターであるGTアソシエイション(GTA)とDeutsche Tourenwagen Masters(DTM)の運営団体であるInternationale Tourenwagen-Rennen e.V.(ITR)は、2014年以降のSUPER GTクラスI(GT500)とDTMの車両規則を、基本的に統一することに合意した。

10月16日、両団体は都内のホテルにおいて共同記者発表会を行い、坂東正明GTA代表とハンス・ヴェルナー・アウフレヒトITR代表が契約書にサインを交わした。

ギリシャ、F1サーキット建設費の規制を解除

2012年10月2日
ギリシャ F1
ギリシャの開発省は、F1を開催できる国際基準のサーキット建設のための2,890万ユーロ(約29億1300万円)の補助金の交付規制を解除したと述べた。

サーキットは、ギリシャ西部のパトラス近郊に建設される予定で将来的なF1グランプリ開催を見込んでいる。

Bloomberg によると、サーキットの総コストは9,460万ユーロ(約95億3600万円)で、民間投資会社のレーストラック・パトラスSAがプロジェクトの監督を務める予定だという。

タイ、2014年のF1開催で基本合意

2012年9月27日
タイ F1
タイ国スポーツ局のカノックパン・チュラカセム知事は、タイが2014年F1レースを開催する契約を結んだと発表した。

先週末のF1シンガポールGPでは、カノックパン・チュラカセムとレッドブルのチャルーム・ユーウィッタヤーが、バーニー・エクレストンと会談を行った。

カノックパン・チュラカセムは26日、この会談でタイが2014年にレースを開催することで基本的に合意したと述べた。

日産デルタウイング、米国のル・マン・シリーズ最終戦に参戦

2012年9月26日
日産デルタウイング
日産デルタウイングが、10月に行われるアメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)最終戦に参戦する。この革新的なマシンは、ル・マン24時間に続いて、2度目のレースに臨む。

ドライバーは、欧州GTアカデミーの初代勝者であり、2012年のル・マン24時間LMP2クラス8位フィニッシュのルーカス・オルドネス(スペイン)。ALMSの2011年LMPC(ル・マン・プロトタイプ・チャレンジ)クラスチャンピオンであるガナー・ジーネット (米国)をチームメイトに迎える。

アレックス・ザナルディ、BMWでのDTM参戦を目指す

2012年9月18日
アレックス・ザナルディ
パラリンピックのハンドサイクルで金メダルを獲得したアレックス・ザナルディは、次のゴールとしてDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)への参戦を目指している。

2001年のCARTでの大クラッシュで両足を大事故で両脚を失ったアレックス・ザナルディは、翌年に特別仕様のマシンでレースの残り周回を完走。その後、2005年にはWTCCにBMWから参戦してレース優勝、また2006年には義足でBMWザウバーのマシンを走らせている。

F1界、シド・ワトキンスに哀悼の意

2012年9月14日
シド・ワトキンス
12日に84歳で亡くなったシド・ワトキンスにF1界から多くの哀悼の意が寄せられている。

シド・ワトキンス博士は、26年間、モータースポーツの安全性向上に尽力。2004年にフルタイムでの役目を終えた後も、FIA安全性専門諮問委員会の委員長に就任し、F1の安全性の改善に努めてきた。

シド・ワトキンス博士の貢献に対し、F1チーム代表、ドライバーが哀悼の意を示した。

“F1ドクター” シド・ワトキンス博士が死去

2012年9月13日
シド・ワトキンス
“F1ドクター”として数々のドライバーの命を救ってきたシド・ワトキンス博士が84歳で死去した。

シド・ワトキンス博士は、1978年から2004年までFIA医療部隊の代表を務め、安全性向上に尽力。またコース上でクラッシュが発生した際にはF1ドクターとして数々のドライバーの命を救ってきた。1995年にアデレードでミカ・ハッキネンが大クラッシュを喫した際もシド・ワトキンス博士が活躍した。
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