ニコ・ロズベルグ、シューマッハのドライビング戦術を批判
2010年1月2日

ロズベルグは、ミハエル・シューマッハが“勝つためならどんな犠牲をも払う”という疑わしいドライビング戦術を正当化したと語る。
「それを始めたのはミハエル・シューマッハだ。スパで、ミカ・ハッキネンが彼をオーバーテイクしようとしたとき、彼はハッキネンをコース脇に追いやった」
ジェンソン・バトン、マクラーレンに正式加入
2010年1月2日

チャンピオンを獲得したブラウンGPからマクラーレンへの移籍を決断したジェンソン・バトンだが、ブラウンGPとの契約条項により、2009年はマクラーレンで作業することが許されていなかった。
マクラーレンのチームウェア姿を初披露したジェンソン・バトンは、公式ページで2010年への抱負を語った。
ルーベンス・バリチェロ、ウィリアムズのスーツ姿を初披露
2010年1月2日

大復活を遂げたブラウンGPを離れ、名門ウィリアムズへの移籍を決断したルーベンス・バリチェロ。2010年はウィリアムズでカーナンバー9をつけ、ルーキーのニコ・ヒュルケンベルグとチームを組む。
すでに最終戦アブダビGP直後にウィリアムズを訪れてオリエンテーションを開始していたバリチェロ。
ルノー、2011年までにトップ復帰を目指す
2010年1月2日

F1撤退が囁かれたルノーだが、12月中旬にチーム株式の大部分をジェニー・キャピタルへ売却することに合意したことで、チームの将来は確保された。
2009年のルノーは、チーム代表のフラビオ・ブリアトーレと技術代表のパット・シモンズが辞任に追いやられたクラッシュゲート騒動を含め厳しいシーズンを送ることとなったが、ボル・ベルはチームが現在グリッドの上位に返り咲くために複数年にわたる戦略構築に集中していると語る。
ペーター・ザウバーのTwitterは偽物
2010年1月1日

ペーター・ザウバー氏を名乗るアカウントは、2010年のザウバーの小林可夢偉のチームメイトを「来週発表する」と投稿。当サイトを含む多くのメディアがそのニュースを報じていた。
しかし、ブラジルのGrande Premioを含む多くの専門ソースは、ペーター・ザウバーを名乗るTwitterアカウントが偽物であることを明らかにした。
Happy Formula One 2010!!
2010年1月1日

2009年のF1は、ディフューザー論争にはじまり、分裂騒動、数多くのスキャンダル、自動車メーカーの相次ぐ撤退など、良くも悪くもトラック外での話題の多い1年でしたね。大幅なレギュレーション変更による勢力図が変動も興味深かったです。
2010年のF1は、近年稀にみるドライバー・シャッフルがあります。アロンソ-マッサ、ハミルトン-バトン、シューマッハ-ロズベルグといった個性の強いドライバーのチーム内バトル、そこにベッテル-ウェバーがどのように絡んでくるか。
ニック・ワース、CFD技術の普及を願う
2009年12月31日

ニック・ワースは、風洞を使用せずにCFD(Computational Fluid Dynamics:数値流体力学)のみでヴァージン・レーシングの初マシンVR-01を設計している。彼はすでにアメリカ・ル・マン・シリーズでその方法で実績をあげている。
フェラーリ 「シューマッハの復帰はF1にとって素晴らしいこと」
2009年12月31日

ミハエル・シューマッハは、フェラーリとの14年間の関係を終え、メルセデスGPと3年契約を結び2010年にF1復帰する。
ステファノ・ドメニカリは、ミハエル・シューマッハのニュースを受け入れるのは簡単ではなかったと認める。
ジェンソン・バトン、大英帝国勲章第5位を受勲
2009年12月31日

2010年にマクラーレンへ移籍するジェンソン・バトンは、今シーズン6勝をあげて自身初のワールドチャンピオンを獲得した。
「人生で最高の一年になったし、本当にこの上ない栄光だね」とバトンは語る。