マクラーレン、MP4-27を2月1日に発表

2011年12月19日
マクラーレン MP4-27
マクラーレンは、2012年F1マシン「MP4-27」を2月1日に披露することを発表。2012年初テストでMP4-27を走らせるとした。

2012年はテスト規約が厳しくなり、走行前にすべてのクラッシュテストに合格しなければならない。

そのため、大半のチームは1回目と2回目のテストの間の2週間を開発時間に充てるために新車の発表を遅らせるという選択をするとみられていた。

ジェンソン・バトン、2012年のメルセデスGPを警戒

2011年12月5日
ジェンソン・バトン
ジェンソン・バトンは、2012年のメルセデスGPを警戒している。

2010年にメルセデス・ベンツがチームを買収してメルセデスGPとなる直前、ジェンソン・バトンはその前身チームであるブラウンGPでワールドチャンピオンを獲得した。

ロス・ブラウンが引き続きチーム代表を務めるメルセデスGPは、2012年にミハエル・シューマッハとニコ・ロズベルグのラインナップで3年目を迎えようとしている。

ルイス・ハミルトン、2012年以降もマクラーレン残留の意向

2011年11月29日
ルイス・ハミルトン
ルイス・ハミルトンは、まもなくマクラーレンと2012年以降の新しい契約にサインする準備を進めていることを認めた。

チームメイトのジェンソン・バトンが、ドライバーズ選手権を2位で終え、新しい複数年契約にサインしたのに対し、ルイス・ハミルトンはトラック内外で騒々しいシーズンを送った。

マクラーレン:ジェンソン・バトンが3位表彰台 (F1ブラジルGP)

2011年11月28日
マクラーレン F1ブラジルGP 結果
マクラーレンは、F1ブラジルGPの決勝レースで、ジェンソン・バトンが3位、ルイス・ハミルトンはギアボックストラブルでリタイアだった。

マクラーレンは、497ポイントを獲得してコンストラクターズ選手権2位でシーズンを終了。

ドライバーズ選手権では、ジェンソン・バトンが270ポイントを獲得して2位、ルイス・ハミルトンは227ポイントで5位だった。

マクラーレン:2列目から戦いを挑む (F1ブラジルGP予選)

2011年11月27日
マクラーレン F1ブラジルGP 予選結果
マクラーレンは、F1ブラジルGPの予選で、ジェンソン・バトンが3番手、ルイス・ハミルトンが4番手だった。

ジェンソン・バトン (3番手)
「全体的に見て、Q2は少し神経をすり減らしたけど、最終的には楽しかったよ。2005年以来Q2を突破していなかったからね! なので、トップ10に入れて満足だったよ。Q3ではマシンもうまく働いていた。バランス面ではほぼマシンをうまく引き出せた」

マクラーレン:F1ブラジルGP初日

2011年11月26日
マクラーレン F1ブラジルGP 初日
マクラーレンは、F1ブラジルGP初日のフリー走行で、ルイス・ハミルトンが1番手、ジェンソン・バトンが7番手だった。

ルイス・ハミルトン (1番手)
「今日は重い燃料と軽い燃料の両方でマシンの感覚が本当に良かった。それに新品のオプションタイヤでnデグラデーションもかなり許容範囲だったと思う。最後の走行でもそれなりのタイムが出せていた。まだもう少し引き出せると思うけど、残りの週末も強いと思う」

マクラーレン、ホンダとF1エンジン契約との報道は「的外れ」

2011年11月24日
マクラーレン ホンダ
マクラーレンは、2014年にホンダとエンジン契約を結ぶことを検討しているとの報道を否定した。

先週Auto Motor und Sport は、F1に新しいV6ターボエンジンが導入される2014年にホンダとワークスエンジン契約を結ぶことを検討していると報じていた。

だが、マクラーレンのマネージングディレクターを務めるジョナサン・ニールは、マクラーレンとホンダはいかなる接触もしていないと述べた。

ジェンソン・バトン、襲撃にあったブラジルに戻るのは「怖くない」

2011年11月23日
ジェンソン・バトン
昨年ブラジルで武装集団に襲われたジェンソン・バトンだが、今週末のサンパウロでは警察の警護が強化されることもあり、心配はしていないと述べた。

昨年、予選を終えたジェンソン・バトンは、ホテルへ帰る途中に武装集団に襲われそうになったが、訓練を受けたドライバーの対応により、難を逃れた。

「ブラジルに戻ることを恐れてはいないよ」とジェンソン・バトンは述べた。

マクラーレン、ペドロ・デ・ラ・ロサのHRT加入にエール

2011年11月22日
ペドロ・デ・ラ・ロサ
マクラーレンのチーム代表マーティン・ウィットマーシュは、HRTでレース復帰するためにテスト兼リザーブドライバーの役割から退く道を選んだペドロ・デ・ラ・ロサのチームへの貢献に敬意を表した。

2010年にザウバーでレース復帰するために一時チームを離れたが、ペドロ・デ・ラ・ロサは2003年からマクラーレンでの時間を過ごしてきた。
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