小林可夢偉、シート合わせのためにザウバーを訪問
2009年12月24日

2010年にザウバーに移籍する小林可夢偉は、シート合わせのためにザウバーのファクトリーを訪れ、チーム代表のペーター・ザウバーと面会した。
「僕は100%日本人ではない。6年間ヨーローパで生活していた」と語り、フランス人の彼女がいることを明かした小林可夢偉。
小林可夢偉、ザウバーと2010年のレースドライバーとして契約
2009年12月17日

1986年・兵庫県生まれの小林可夢偉は、1996年にカートレースにデビュー。多くのタイトルを獲得し、2001年にフォーミュラトヨタ・レーシングスクールでスカラシップを獲得。フォーミュラトヨタ・シリーズに参戦し、2003年はフル参戦初年度にして2勝を挙げシリーズ2位。翌2004年にはトヨタ・ドライバーズ・アカデミー(TDPの前身)と契約し、イタリアのフォーミュラ・ルノー・シリーズに参戦。2005年には日本人として初めてフォーミュラ・ルノーのイタリアシリーズとユーロカップシリーズ両方でのチャンピオンに輝いた。
小林可夢偉、ザウバーのシート獲得か
2009年12月12日

負傷したティモ・グロックに代わって最終2戦に出場し、印象的なパフォーマンスをみせた小林可夢偉。トヨタのF1シート獲得間近とされていたが、トヨタはF1から撤退。来季のシートは未定となっている。
そして今週、小林可夢偉のザウバー加入が決定したとの情報が広まっている。
トヨタ、小林可夢偉と2010年マシンをセットで売り込み?
2009年12月4日

F1からの撤退を発表したトヨタだが、コンコルド協定違反による処罰を回避するためにF1参戦権を売却しようとしていると噂されていた。
しかしトヨタの情報筋は、現在トヨタがFIAとFOMとともにF1参戦に対するけじめについて話し合っているとし、トヨタが参戦チームの選考に関わるとの噂を否定した。
ザウバー、小林可夢偉をドライバー候補に挙げる
2009年11月29日

BMWザウバーは、カドバックへの売却契約が不成立に終わり、ザウバーチームの創設者であるペーター・ザウバーにF1チームを売り戻すことを発表。
ペーター・ザウバーは、“SF Sport”のインタビューのなかで、2010年のドライバー候補として小林可夢偉をはじめとする5名のドライバー候補者を挙げた。
小林可夢偉、ルノー移籍の可能性
2009年11月25日

フランスの“Auto Hebdo”によると、小林可夢偉はシート獲得のためにスポンサー支援を受ける可能性があるという。
スポンサーとして名前が挙げられているのは、パナソニックとKDDI。両社はトヨタF1チームのスポンサーを務めており、今後もF1に留まることを望んでいるという。
小林可夢偉 Q&A:今後の活動について
2009年11月23日

トヨタのF1撤退をいつ、どこで聞きましたか?
撤退発表の前日3日にドイツ・ケルンのファクトリーで聞きました。ちょうどミーティングがあって、その場で来年のシートが貰えると思っていたんですが「F1を撤退する可能性があるようだ。明日の朝起きたときに撤退のプレスリリースが出ても驚かないでくれ」と言われました。翌朝マネージャーから正式に撤退したことを聞かされました。そのときはあまりにショックだったので、なんと言っていいかわからないまま「大丈夫です」と言っちゃって。そのときは良く分からない状態だったんですが、後から考えれば全然良くないよなという感じでした。
小林可夢偉 「トヨタでF1をしていたら勝てたという思いがある」
2009年11月21日

トヨタのF1撤退について「本当に驚いて、まさか僕は撤退ということがアブダビのあとに起こるとは思ってなかった」と語った可夢偉。
「トヨタの方に呼ばれたときに、僕はレースシートを貰えるものだと思ってそのミーティングに参加したんですけど、実は撤退だということで・・・」
小林可夢偉、20日に「すぽると」生出演
2009年11月20日

小林可夢偉は今シーズン、負傷したティモ・グロックの代役として、ブラジルGPとアブダビGPにトヨタのF1ドライバーとして出場。アブダビGPでは、王者ジェンソン・バトンをオーバーテイクするなどの活躍をみせ、6位入賞。日本のみならず世界中のF1ファンの注目を集めた。