2010年12月のF1情報を一覧表示します。

ベルギー、ワールドカップ開催の落選でF1ベルギーGP継続に望み

2010年12月8日
F1ベルギーGP
ベルギーが2018年のワールドカップ開催地に落選したことが、スパ・フランコルシャンでのF1ベベルギーGP継続に望みを与えている。

スパ・フランコルシャンでのF1開催契約は2012年に終了することになっているが、バーニー・エクレストンは新しい開催国を加えるために収益性の高くないヨーロッパのいくつかのレースを廃止するとみられている。

小林可夢偉、2011年のザウバーの進歩に自信

2010年12月8日
小林可夢偉
小林可夢偉は、2011年にザウバーがグリッド上で前進を果たせると確信している。

日本人初の英オートスポーツ・アワードの「ルーキー・オブ・ザ・イヤー」を受賞した小林可夢偉。

「これまでのところ、チームは来年にさらにステップを果たせる素晴らしいポテンシャルを持っていると思っているし、僕自身、シーズン序盤からもっといいシーズンを過ごせると期待しています」と小林可夢偉はコメント。

ネルソン・ピケ親子、名誉棄損でルノーに勝訴

2010年12月8日
ネルソン・ピケ
ネルソン・ピケおよびネルソン・ピケJr.は、2008年のシンガポールGPでの“クラッシュゲート”スキャンダルの際、ルノーから不当な表現をされたとして名誉棄損で訴訟を起こし勝訴。ルノーF1チームは、損害賠償を支払うことで合意した。

2008年のシンガポールGPで、ルノーがフェルナンド・アロンソを勝たせるためにネルソン・ピケJr.に故意にクラッシュするよう要求。

バーニー・エクレストン、腕時計の広告に自らの負傷写真を使用

2010年12月8日
バーニー・エクレストン
バーニー・エクレストンは、F1の公式ウォッチパートナーである腕時計ブランド「Hublot(ウブロ)」の新しい広告に強盗に襲われて負傷した自らの写真を利用した。

バーニー・エクレストンは先月24日、ロンドンの自宅近くで4人の強盗に襲われ、殴る蹴るの暴行を受け、時計や宝石類を奪われた。

小林可夢偉 「世界中のファンから投票で選ばれたことを誇りに思う」

2010年12月8日
小林可夢偉
小林可夢偉が、英オートスポーツ・アワードの「ルーキー・オブ・ザ・イヤー」を受賞したことへの喜びを語った。

この賞は、イギリスの『AUTOSPORT』誌が毎年行っているファン投票によって選ばれるもので、F1のみならずWRCやIRL、GP2など、ありとあらゆるカテゴリーのルーキーが対象となっており、その中から小林可夢偉が選出された。日本人が選ばれるのは初めてのこと。

クリスチャン・ホーナー、肩の怪我を隠したマーク・ウェバーに怒り

2010年12月7日
クリスチャン・ホーナーとマーク・ウェバー
レッドブルのチーム代表クリスチャン・ホーナーは、マーク・ウェバーが肩の骨折を隠していたとのニュースに「失望とフラストレーションを感じている」ことを明らかにした。

マーク・ウェバーは最近発売した著書“Up front: a season to remember”の中で、シンガポールGP後に母国オーストラリアでマウンテンバイクで事故を起こして右肩を骨折。日本GPと韓国GPでは痛み止めの注射を打っていたことを明らかにしていた。

ペドロ・デ・ラ・ロサ、マクラーレンのテストドライバーに復帰か

2010年12月7日
ペドロ・デ・ラ・ロサ
ペドロ・デ・ラ・ロサが、2011年の“プランB”としてマクラーレンでテスト兼リザーブドライバーへの復帰を考えていると報じられている。

ヒスパニア・レーシングのシートが噂されてはいるペドロ・デ・ラ・ロサだが、グリッドの空席の大半は「スポンサーがついているドライバーに予約されている」と認めていた。

「最終的にリザーブやテスターにならなければならないなら、そうするつもりだけど、まずは(レースのために)あらゆる手を尽くすつもりだ」

小林可夢偉、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞

2010年12月7日
小林可夢偉
小林可夢偉が、AUTOSPORT Awardsのルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。

小林可夢偉は、同じF1ルーキーのヴィタリー・ペトロフやニコ・ヒュルケンベルグ、GP2のジュール・ビアンキやサム・バード、WRCに転向したキミ・ライコネンらを抑えて2010年のルーキー・オブ・ザ・イヤー選出された。

2009年末にトヨタで2戦に出場して見事な走りをみせた小林可夢偉は、今年ザウバーから初めてフル参戦を果たした。

ニコ・ヒュルケンベルグ 「来年もF1にいると確信している」

2010年12月7日
ニコ・ヒュルケンベルグ
ニコ・ヒュルケンベルグは、まだ2011年の計画はまとまってはいないが来年もF1にいれると「確信している」と語る。

今年ウィリアムズでF1デビューを果たしたニコ・ヒュルケンベルグは、ブラジルGPでのポールポジションを含めて印象的な初シーズンを送ったが、ウィリアムズは2011年からパストール・マルドナドを起用することを選び、ヒュルケンベルグはチームを放出された。
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