2010年08月のF1情報を一覧表示します。

ピーター・ウィンザー 「USF1はトヨタのF1マシンを使うべきだった」

2010年8月17日
USF1
USF1の共同設立者のひとりであるピーター・ウィンザーは、USF1は倒産するのではなく、トヨタの2010年パッケージでレースをすることを検討するべきだったと認めた。

独自シャシーでの計画が失敗した際にトヨタのシャシーを使用するという選択肢を追い求めなかったことに公開しているかと問われたピーター・ウィンザーは「そうだね。振り返ってみれば、ニアにもしないよりは良かったかもしれない」とコメント。

ニック・ハイドフェルド、17日からピレリのF1テストを開始へ

2010年8月17日
ニック・ハイドフェルド ピレリ
ピレリの初F1テストが、火曜日(17日)にムジェロで開始される。

これまでの報道では、ピレリは月曜日(16日)からムジェロでニック・ハイドフェルドがトヨタ TF109を駆り、テストを開始するとされていた。

しかし、新たな報道ではテストは2日間であり、19日(水)まで行われるという。

ニック・ハイドフェルド&パトリシア夫妻に第3子が誕生

2010年8月17日
ニック・ハイドフェルド
ニック・ハイドフェルドとパトリシア夫妻に第3子となる次男が誕生した。

ニック・ハイドフェルドは、スイスのステファで娘のユニ(4歳)、息子のヨダ(2歳)と暮らしている。

「今夜、3人目の子供が生まれたことを発表できて嬉しい。僕たちの小さな息子はユストゥスと名付けた。すべてが順調だ」とハイドフェルドは自身のオフィシャルサイトで報告した。

F1バーレーンGP、2011年は以前のレイアウトで開催

2010年8月17日
F1バーレーンGP
F1バーレーンGPの主催者は、2011年のレースはオリジナルレイアウトに戻すことを発表した。

2010年のF1バーレーンGPは、F1の60周年を記念して全長を5.412kmから6.299kmに延長した“耐久トラック”レイアウトで行われた。

しかし、2011年のレースは、2004年からグランプリを開催してきたオリジナルレイアウトで実施するとF1バーレーンGPの主催者は発表した。

ドゥカティ 記者会見:バレンティーノ・ロッシとの契約について

2010年8月16日
ドゥカティ
ドゥカティは、バレンティーノ・ロッシとの2011年からの契約を発表後、ブルノのパドックで記者会見を実施した。

バレンティーノ・ロッシはまだヤマハとの契約があるため会見には出席しなかったが、ドゥカティのガブリエル・デル・トルキオCEOとチームマネージャーのビットリアーノ・グアレスキが出席して、ロッシとの契約までの経緯などを語った。

ミハエル・シューマッハ 「不振はクルマのせい」

2010年8月16日
ミハエル・シューマッハ
ミハエル・シューマッハは、F1復帰シーズンでスピードを得ることに苦労しているのでは、メルセデスGPの2010年マシンのせいだと主張している。

ミハエル・シューマッハは、12戦を終えた時点でチームメイトのニコ・ロズベルグに56ポイント差をつけられ、チャンピオンシップ9位にいる。

「もちろん、ポイントテーブルを見て満足することはできない」とミハエル・シューマッハは彼のスポンサーであるDVAGのインタビューで語った。

韓国インターナショナルサーキット、来月初レースを開催

2010年8月16日
韓国インターナショナルサーキット
F1韓国GPを開催予定の韓国インターナショナルサーキットで、9月後半に初の自動車レースが予定されている。

このスケジュールは、韓国インターナショナルサーキットが10月のF1韓国GPに間に合わないという噂への反論といえる。

アジアGTとジュニア・シングルシーターのレースが開催されるThe Asian Festival of Speedは、当初は8月後半に開催される予定となっていた。

ニコ・ロズベルグ、トライアスロンに初挑戦

2010年8月16日
ニコ・ロズベルグ
ニコ・ロズベルグが、トライアスロンに初挑戦した。

ニコ・ロズベルグは、オーストリアのキッツビューエルで開催された世界選手権でオリンピック・ディスタンス(水泳1,500m、自転車40km、マラソン10km)を完走した。

先日ロンドンでトライアスロンに参加したジェンソン・バトンのタイムは2時間14分だったが、初参加のロズベルグは2時間7分で完走を果たした。

バレンティーノ・ロッシ、ドゥカティ移籍へのコメント

2010年8月16日
バレンティーノ・ロッシ ドゥカティ移籍
バレンティーノ・ロッシは、2011年からドゥカティに移籍することを発表。7年間所属し、ともに4度のMotoGPチャンピオンを獲得したヤマハへの感謝の言葉を直筆のメッセージで綴った。

バレンティーノ・ロッシ
「ヤマハと僕との7年間の関係については、ひと言やふた言で説明することはできない。あの2004年から、いろいろ状況が変ってきたけれど、中でも一番変化したのが彼女、つまりYZR-M1なんだ。彼女は当時、グリッドの真ん中あたりに留まっていて、ライダーを含めてMotoGPに携わる多くの人たちにとって、その存在は輝くものではなかった。ところが今は、すっかり成長して進化し、賞賛され、求愛されてガレージのなかで微笑んでいる。クラストップの存在として扱われるようになったんだ」
«Prev || 1 | 2 | 3 |...| 21 | 22 | 23 |...| 35 | 36 | 37 || Next»
 
F1-Gate.com ホーム