スズキ、2014年のMotoGP復帰にむけて準備
2012年12月15日
![スズキ MotoGP](https://f1-gate.com/media/2012/20121215-suzuki.jpg)
スズキは、2011年末に財政的な理由でMotoGPから撤退している。
スズキのモトGPプロジェクトリーダーを務める寺田覚は、2014年のMotoGPへの完全復帰にむけて準備を進めているが、2013年のワイルドカード参戦は否定している。
ホルヘ・ロレンソ、2012年 MotoGP世界チャンピオンを獲得
2012年10月29日
![ホルヘ・ロレンソ](https://f1-gate.com/media/2012/20121029-motogp.jpg)
ホルヘ・ロレンソ(ヤマハ)は、予選2位から発進し2位でゴール。チャンピオンシップのライバル、ダニ・ペドロサ(ホンダ)が転倒リタイアに終わっため、最終戦を待たずして2012シーズンのMotoGPタイトルを手中にした。
MotoGP:故マルコ・シモンチェリ 追悼メモリアルラン
2012年9月16日
![マルコ・シモンチェリ 追悼メモリアルラン](https://f1-gate.com/media/2012/20120916-motogp.jpg)
第13戦サンマリノ&デラ・リビエラ・ディ・リミニGPのプレイベントは13日、ミサノ・ワールド・サーキット‐マルコ・シモンチェリのトラックで行われ、3クラスのライダーたちが自転車で故マルコ・シモンチェリを追悼するメモリアルランを行った。
ケーシー・ストーナーが手術を決断 「MotoGPタイトルの望みは消えた」
2012年8月24日
![ケーシー・ストーナー](https://f1-gate.com/media/2012/20120824-stoner.jpg)
ケーシー・ストーナーは、前戦インディアナポリスGPの公式予選で転倒を喫した際に右足首を骨折して、靭帯を損傷したことから、医師団の助言を受けて、手術を受けることを決断した。
バレンティーノ・ロッシ 「ヤマハで勝てなかったら引退」
2012年8月18日
![バレンティーノ・ロッシ](https://f1-gate.com/media/2012/20120818-rossi.jpg)
ドゥカティに移籍して以降、2度の表彰台しか獲得できていないバレンティーノ・ロッシは、ラグナ・セカでの転倒リタイア後、モチベーションを保つのが難しかったと認めた。
バレンティーノ・ロッシ 「ドゥカティで結果を出せなくて本当に残念」
2012年8月17日
![バレンティーノ・ロッシ](https://f1-gate.com/media/2012/20120817-rossi.jpg)
2010年にドゥカティに移籍したバレンティーノ・ロッシだが、2013年から再びヤマハでホルヘ・ロレンソとチームを組むことが発表された。
「ドゥカティと競争力を発揮できなかったのは本当に残念だ」とバレンティーノ・ロッシは自身のTwitterでコメント。
ケーシー・ストーナー、今季限りでのMotoGP引退を発表
2012年5月18日
![ケーシー・ストーナー](https://f1-gate.com/media/2012/20120518-stoner.jpg)
26歳のオーストラリア人ライダーは、2002年からフル参戦を開始すると、ドゥカティ・マールボロ・チームから参戦した最高峰クラス2年目、800ccクラスの1年目となった2007年に初タイトルを獲得すると、レプソル・ホンダから参戦した2011年に2度目のタイトルに成功。
MotoGP:2012年 暫定エントリーリストを発表
2012年1月15日
![MotoGP 2012](https://f1-gate.com/media/2000/20120115-motogp.jpg)
2012年のMotoGPは、レギュレーション変更により、7チーム、9人のCRTクレイミング・ルール・チームを含む14チーム、21人がエントリー。CRTチームとは、メーカーからエンジンを購入して参戦するチームを指し、エンジンの使用機数やタンク容量などに優遇策がとられる。
故マルコ・シモンチェリの財団が設立
2011年12月23日
![マルコ・シモンチェリ財団](https://f1-gate.com/media/2000/20120115-simoncelli.jpg)
故マルコ・シモンチェリの父親パオロ・シモンチェリは22日、非営利団体としてマルコ・シモンチェリ財団を設立したことを発表した。
パオロと母親のロッセーラ、妹のマルティナ、ガールフレンドのケイト、パーソナルマネージャーのカルロ・ペルナット、ジャーナリストのパオロ・ベルトタモが発起人となり、マルコ・シモンチェリの思い出を継続する目的で財団を創設。