アルファタウリF1 英国ではなくファエンツァに拠点を置くことになった経緯
スクーデリア・アルファタウリはイタリア北部の小さな村ファエンツァに本拠地を置く。しかし、アルファタウリの姉妹チームであるレッドブル・レーシングをはじめ、ほとんどのF1チームはイギリスに本拠地を置いている。では、なぜアルファタウリのファクトリーはイタリアにあるのだろうか?

10チームのうち7チームはイギリスにファクトリーを構えている。というのも、第二次世界大戦後、イギリスの航空技術者たちがレーシングカーの開発に乗り出し、軍用飛行場がシルバーストーンなどのレース場になったからだ。

サプライヤーはそうしたサーキットのある地域に移り住み、チームもまたサプライヤーの近くに拠点を置くことを望んだ。それから70年後、アルピーヌはエンストン、アストンマーティンはシルバーストーン、ハースはバンベリー、マクラーレンはウォーキング、メルセデスはブラックリー、レッドブルはミルトンキーンズ、ウィリアムズはグローブに拠点を置いている。

ザウバーはペーター・ザウバーの故郷であるスイスのヒンウィル、フェラーリはイタリアのマラネロ、アルファタウリはファエンツァに拠点を置いている。

アルファタウリは、2005年末にレッドブルが下位チームのミナルディを買収した後に設立された。ミナルディがF1に参戦したのは1985年のことで、その3年後のデトロイトGPでピエルイジ・マルティーニが6位入賞を果たして初ポイントを獲得した。マルティーニは1989年に5ポイント、ルイス・ペレス=サラはさらに1ポイントを獲得している。マルティーニは1990年の開幕戦、フェニックスで行われたアメリカGPで2番グリッドを獲得し、ミナルディ史上最高のスタート位置を得た。1991年のサンマリノGPとポルトガルGPではマルティーニが、1993年の南アフリカGPではクリスチャン・フィッティパルディがミナルディ史上最高の4位完走を果たしている。ミナルディが表彰台に上ることはなかった。チームは財政難に陥り、2001年以前にオーストラリアの実業家ポール・ストッダートが買収。彼は5年後にチームをレッドブルに売却した。

スクーデリア・アルファタウリ

契約条項
ミナルディとレッドブルの契約には、興味深い条項が1つ含まれていた。ファエンツァ出身のミナルディ創設者ジャンカルロ・ミナルディは、ファクトリーとレッドブルが設立する姉妹チームがファエンツァに残ることを望んでいた。レッドブルはこれに同意し、スクーデリア・トロ・ロッソが誕生した。こうして、ファエンツァでの雇用は維持され、ミナルディの歴史も失われることはなかった。ミナルディは愛されるチームだったが、トロ・ロッソのような成功を収めることはできなかった。

2008年イタリアGPではセバスチャン・ベッテルがレッドブルの姉妹チームでポールポジションから優勝。2019年はピエール・ガスリーとダニール・クビアトを擁して再び表彰台を達成する。トロ・ロッソは2020年、レッドブルのアパレルブランドにちなんでアルファタウリに改名。ガスリーはイタリアで優勝し、1年後のアゼルバイジャンでも表彰台に上った。

2023年、アルファタウリは苦しいシーズンを経験。来年は再びチーム名の変更が予定されている。

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カテゴリー: F1 / スクーデリア・アルファタウリ / トロロッソ