ドゥカティ、バレンティーノ・ロッシとの契約を正式発表
2010年8月16日

「バレンティーノ・ロッシが2011年から我々と共に参戦することとなり、それを発表できることが嬉しいです」とドゥカティのガブリエル・デル・トルキオCEOはコメント。
「彼はモーターサイクル界のエクセレントなモデルです。イタリアンファクトリーにとって、エクセレントなメイド・イン・イタリーの模範であり、テクノロジー、デザイン、スポーツにおける成功のカギが評価されます」
バレンティーノ・ロッシ、今季限りでのヤマハ離脱を発表
2010年8月16日

2004年にヤマハに移籍したバレンティーノ・ロッシは、ヤマハでの7年間で4度のMotoGPチャンピオンを獲得している。
「ヤマハは、ここ7年間のレースでの成功におけるバレンティーの貢献に非常に感謝しており、今後の彼のレーシングの幸運を祈っている」とヤマハは声明で述べた。
バレンティーノ・ロッシ 「チームのみんなに感謝したい」
2010年7月20日

第4戦イタリアGPのフリー走行2で右脚の脛骨とひ骨を骨折し、デビュー戦以来続いていた史上最多の連続参戦記録に終止符を打たなければいけなかったが、開放骨折による感染症を回避できただけでなく、高気圧酸素装置を中心としたリハビリの成果により、負傷から32日後にバイクを試乗。
バレンティーノ・ロッシ、復帰戦で4位入賞
2010年7月19日

バレンティーノ・ロッシは、第4戦イタリアGPのフリー走行で右足を骨折してから6週間後に驚異の復帰。最終コーナーでケーシー・ストーナーに抜かれたものの、4位入賞という結果を残した。
「4位でこんなに嬉しかったことはないよ」とバレンティーノ・ロッシはコメント。
バレンティーノ・ロッシ、復帰戦の予選で5番手
2010年7月17日

第3戦フランスGP以来となる公式予選を前に、フリー走行2で7番手から3番手に浮上すると、1分22秒台のリズムで周回を重ねた。
「2日目に満足している。バイクの上で自信を感じる。今日は2度のセッションだったから、昨日より厳しかった。痛みがあり、疲れたけど、僕の動きはグッドだ」とバレンティーノ・ロッシは2度目のセッションを振り返った。
バレンティーノ・ロッシ、復帰戦のフリー走行で7番手タイム
2010年7月17日

バレンティーノ・ロッシは、第4戦イタリアGPのフリー走行2以来41日ぶりにM1を走らせると、1度目のコースインで1分24秒台を突破。
ペドロサ、ストーナー、ロレンソに続くリズムで周回を重ね、最終29ラップ目には、1分23秒244を記録した。
バレンティーノ・ロッシ 「MotoGPがすごく恋しかった」
2010年7月16日

ホームレースだった第4戦イタリアGPのフリー走行2で右脚脛骨を開放骨折してから40日後、昨年僅少さで優勝したザクセンリンクのパドックに姿を見せたバレンティーノ・ロッシは、「MotoGP、特に僕のバイクと僕のチームがすごく恋しかった」と、6週間ぶりの再会を語った。
バレンティーノ・ロッシ、レース復帰が決定
2010年7月16日

バレンティーノ・ロッシは、第4戦イタリアGPのフリー走行で転倒。右脚脛骨を開放骨折していた。
しかし、先週から2度のプライベートテストを実施したバレンティーノ・ロッシは、骨折した右脚脛骨の回復具合を確認した後、前日に主治医からレース参戦に関して前向きな回答を得るとドイツに移動。
バレンティーノ・ロッシ、医師から復帰へゴーサイン
2010年7月15日

右脚脛骨と右脚ひ骨を骨折してから32日後、バレンティーノ・ロッシは地元ミサノでR1を走らせると、37日後にはブルノで46ラップを走行。
2度のプライベートテストで右肩を含め負傷の回復具合を確認すると、14日にレントゲン検査を実施。医師団から参戦への許可が下ったことから、最高峰クラスで4勝を挙げた舞台に向けて出発。明日、サーキットでメディカルチェックを受け、最終的な判断が下される。