【動画】 アイルトン・セナ、ホンダF1撤退のニュースに拭った涙

2020年5月3日
【動画】 アイルトン・セナ、ホンダF1撤退のニュースに拭った涙
アイルトン・セナは、ホンダF1撤退のニュースに涙を拭った。

1992年7月18日、朝日新聞の一面トップの見出しには『本田技研がF1撤退へ』の文字が大きく刷られた。記者にそれとなく話した川本信彦は、ホンダのF1休止が、朝日のトップニュースとして扱われるとは思ってもみなかった。

デビッド・クルサードが飛行機墜落事故から奇跡的に生還した日

2020年5月3日
デビッド・クルサードが飛行機墜落事故から奇跡的に生還した日 / F1回顧録
デビッド・クルサードは、20年前に飛行機墜落事故から奇跡的に生還した。

2000年4月23日、マクラーレンに所属していたデビッド・クルサードはホームレースであるシルバーストンでのF1イギリスGPで2連覇を達成。だが、9日後の5月2日にその幸福感は悲しみに変わった。

アストンマーティンF1、セルジオ・ペレスとランス・ストロールが続投

2020年5月3日
アストンマーティンF1、セルジオ・ペレスとランス・ストロールが続投
レーシング・ポイントF1チームは、2021年からアストンマーティンF1チームに名称を変えるが、ドライバーは不変のままだ。

今年1月、レーシング・ポイントの主要株主であるローレンス・ストロールは、アストンマーティンの株式を購入。同社のエグゼクティブチェアマンに就任した。2021年からアストンマーティンF1チームに改名することを発表している。

レッドブルF1代表 「F1はカスタマーカーのような“大胆”なプランが必要」

2020年5月3日
レッドブルF1代表 「F1はカスタマーカーのような“大胆”なプランが必要」
レッドブルF1のチーム代表を務めるクリスチャン・ホーナーは、F1は新型コロナウイルス危機を乗り切るために、予算制限を超えてカスタマーカーのような“大胆”な計画を検討する必要があると主張する。

2020年のF1世界選手権は7月までの10戦が延期・中止となり、F1は危機的な状況に直面している。F1チームの代表者からは予算制限の引き下げに焦点を当てて議論を展開している。

F1バーチャルGP 第4戦 エントリーリスト:6名の現役F1ドライバーが参加

2020年5月3日
F1バーチャルGP 第4戦 エントリーリスト:6名の現役F1ドライバーが参加
F1バーチャルGP 第4戦が5月3日(日)に開催される。

F1バーチャルGPは、コードマスターズが開発した公式ゲーム『F1 2019』が使用される。第4戦はオランダGPの代替として開催されるが、ザントフォールトはゲームには収録されていないため、ブラジルGPの舞台であるインテルラゴス・サーキットが使用される。

悲劇と混乱に満ちた1994年シーズン 「神々がF1を見放した年」

2020年5月3日
悲劇と混乱に満ちた1994年シーズン 「神々がF1を見放した年」
アイルトン・セナ没後22年目を迎えた今、「神々がF1を見放した年」として今も人々の記憶に刻まれている1994年シーズンンを振り返る。

1994年にF1で起こった一連の出来事は、その後のF1のあり方を永遠に変えてしまった。この1994年シーズンンは後世に語り継がれる熾烈なタイトル争いが繰り広げられた一方、政治的な混乱と対立がこのスポーツに暗い影を落とした。そして、F1に携わる人々が長らく忘れ去っていた悲劇が再び眼前に突きつけられた1年でもあった。

ホンダF1とザウバーの契約白紙化が与えた影響 / F1特集

2020年5月2日
ホンダF1とザウバーの契約白紙化が与えた影響 / F1特集
F1に“ザウバー・ホンダ”が誕生することはなかった。ホンダF1とのザウバーとのエンジン契約は発表から3か月後に白紙撤回された。それによってF1の状況は大きく動くことなった。

2017年のF1世界選手権のスタートは、ザウバーとホンダF1のどちらにとっても期待できるものではなかった。

FIA、レーシング・ポイントのF1マシンとメルセデスの設計データを照合

2020年5月2日
FIA、レーシング・ポイントのF1マシンとメルセデスの設計データを照合
レーシング・ポイントF1チームのテクニカルディレクターを務めるアンディ・グリーンは、FIA(国際自動車連盟)がチームのファクトリーを訪れ、新車RP20をメルセデスのデザインと照合し、その結果に満足していたと語る。

レーシング・ポイントF1チームの2020年のF1マシン『RP20』は、メルセデスが2019年にダブルタイトルを獲得した『W10』に酷似しており、プレシーズンテストで大きな話題となった。

ホンダF1 第2期終了を振り返る 「バルブがはじけて体力が弱ってきた」

2020年5月2日
ホンダF1 第2期終了を振り返る 「バルブがはじけて体力が弱ってきた」 / F1回顧録
ホンダは1992年をもって第2期F1活動を終了する。当時ホンダの社長を務めた川本信彦の言葉で当時を振り返る。

1991年、アイルトン・セナが開幕4連勝するものの、マシンの挙動は精彩を欠き、第5戦あたりからウィリアムズ・ルノーに一歩遅れを取るようになった。この年は、苦戦を続けながらもチームを挙げての努力により、8勝を挙げ、コンストラクターズチャンピオン通算6回目、ドライバーズチャンピオン通算5回目を達成した。
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