ニキ・ラウダの死から1年:メルセデスF1のメンバーが敬意と感謝
3度のF1ワールドチャンピオンであるニキ・ラウダが70歳で亡くなってから1年が経った。

ニキ・ラウダは、メルセデスF1の非常勤取締役としてチーム運営の役割を果たしてきたが、2018年8月、肺の深刻な疾患を抱え、肺移植の手術を受けた。2ヵ月の入院とリハビリを実施したことで残りのシーズンはF1バドックに姿を見せることはできなかった。

その後、病院でのリハビリを経て、イビザの自宅で静養していたニキ・ラウダだが、インフルエンザにかかったことで夏に手術を行ったウィーン総合病院の集中治療室に入院。健康問題から腎臓透析治療を開始したと報じ入られていたニキ・ラウダだが、5月20日(月)に家族に見守られながら息を引き取ったことが確認された。

メルセデスのF1ドライバーを務めるルイス・ハミルトンとバルテリ・ボッタス、チーム代表のトト・ヴォルフがらニキ・ラウダを偲んで敬意と感謝のメッセージを公開した。

ルイスハミルトン
「ニキのことを恋しく思っているし、僕たち全員が心から恋しく思っている。話をするのが難しいテーマだ。誰もがとても好きな人であり、最終的に世界が失った人だ。でも、ニキとは最高の思い出しかない。一番の思い出は初めての会話かもしれない。2012年に話をするようになった。日中に家にいて、ニキから電話があったことを覚えている。彼は僕がチームに来るように説得しようとしていた。ワールドチャンピオンでありニキのようなアイコンから電話がかかってくるのはとてもクールだった。彼はとてもポジティブでユーモアのある面白い人だった。彼はいつも最高のストーリーをしてくれた。彼は生まれながらのレーサーだった。彼は常に僕たちがどのように改善できるかを考えていた。ニキの最大のサインは、仕事をすれば、彼は帽子を脱いだ。彼にとってそれは『よくやった』ということなんだ。僕たちはレースの後で頻繁に話し、彼は 『ねえ、ルイス、もっと良くなるために何が必要だ? 何が必要だ?』と尋ねていた。彼は常に追い求めていた。僕が彼から何かを学んだとすれば、そういうところだと思う。ドライバーとして、そして、チーム内では自然に一緒に働かなければならないものだけど、それを主導しなければならない。本当に深く掘って、みんなをプッシュしなければならない。その機会があったことを感謝しているし、ニキを永遠に愛している。彼の精神がすべてのレースで僕たちと共にいてくれている。」

バルテリ・ボッタス
「ニキから常に自分の才能を信頼して疑わず、自分のドライビングスタイルやクルマの中でのやり方を疑うべきではないことを常に自覚することを学んだ。また、失望から頭を下げすぎないようにすること、そして、失望からより素早く回復する方法、そして、よりポジティブな時間を楽しみにすることを彼から学んだ。ニキは、必要なときにいつでも彼のサポートして元気づけてくれた。彼は困難な時期に僕を元気づけてくれた人だったし、彼のサポートいつもそこにあった。僕が立ち直り、なぜ自分がこれをしているのか、そして、自分はそれをするのに十分なほど良いことを思い出させてくれた。彼はそれがとても上手だった」

トト・ヴォルフ (メルセデスF1 チーム代表)
「ニキから何を学んだか? 本当に多くのことを学んだ。個人的に言えば、決してあきらめないことだ。理解を求めるのではなく、とにかく物事を成し遂げることだ。ニキは決して文句を言うことはなかった。彼は苦痛を経験し、それを乗り越えてきた人だ。彼に投げつけられた逆境と彼がそれに対処した方法には本当に感心している。何年にもわたって我々の関係は発展していった。我々は非常に異なっていたので、お互いから多くのことを学んだと思うが、彼のインプットと彼はスパーリングパートナーであり、健全な取締役だった。最も重要なのは敵対的な環境で一緒にいる友人だった。それを本当に恋しく思っている」

ジェームス・アリソン (メルセデスF1 デクニカルディレクター)
「ニキは、巨大で大胆で圧倒的で勇敢な人生を生きた人であり、10の自叙伝を埋めるほど大きさだった人だった。それでも彼は自分自身のことを話したり、過去の栄光を思い出したりすることに時間を費すことはなかった。彼は将来を見据えていた。チームが直面する課題と我々の前にある機会について我々と関わり合うことにはるかに興味を持っていたし、彼は我々のチームにとって本当に大切な友人だった。彼は我々の会長だった。彼は役員室にもファンと同じように熟達していた。彼はF1とFIAで我々を代表していた。彼はマスコミが常に最高レベルで我々を代表してくれることに時間を費やしていた。そして、彼は大きな役割を果たし、ブラックリーとブリックスワースの両方の食器棚を銀器でいっぱいした重要な大きな部分だった」

アンディ・コーウェル (メルセデスF1 エンジン責任者)
「ニキ・ラウダ:F1のレジェンドであり、素晴らしい同僚であり、真の決断力、優れた焦点、素晴らしいことを成し遂げることについて学ぶぶき素晴らしい人だった。2013年まで彼は頻繁に工場を訪れ、集中力を維持し、問題を解決する手助けをしてくれた。彼が到着すると、誰もが注意を払い、誰もが彼のアドバイスの言葉に耳を傾けていた。シンプルなアドバイスの言葉で僕たちがやる必要がある重要なことを掻い摘んで思い出させてくれる。彼は私が彼に言った数字をしばしば私に思い出させた。彼はそれらの細部に対して鋭い記憶力を持っていた。ニキから多くのことを学んだ。長年にわたって彼のことことを知り、多くのアドバイスをしてもらったことを誇りに思っている。ありがとう、ニキ」


1975年にフェラーリで初のF1ワールドチャンピオンを獲得したニキ・ラウダは、1976年にニュルブルクリンクで開催されたドイツGPでのクラッシュでマシンが炎上。頭部に大火傷を負い、FRP製のボディーワークが燃えて発生した有毒ガスを吸い込んだため、肺に深刻なダメージを受け、生死の境をさ迷った。しかし、事故発生から6週間後のF1イタリアGPで奇跡のレース復帰を果たし、4位入賞を果たした。その年は1ポイント差でタイトルを逃したものの、翌1977年に2度目のタイトルを獲得。1984年にはマクラーレンで3度目のF1ワールドチャンピオンを獲得している。1976年のジェームス・ハントとのライバル関係は「ラッシュ/プライドと友情」で映画化されている。

F1はニキ・ラウダを偲び、最後のタイトルを確定させた1984年F1ポルトガルGPと、最後に優勝を飾った1985年F1オランダGPのハイライトを配信する。

ニキ・ラウダ トリビュート動画
5月20日(水)18時UTC(日本時間27時)
・F1公式Facebook
https://www.facebook.com/Formula1/

・F1公式YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/user/Formula1/

・F1公式サイト
https://www.formula1.com

1984年F1ポルトガルGP
マクラーレンのチームメイト同士であるニキ・ラウダとアラン・プロストとのチャンピオン争いは最終戦ポルトガルGPまでもつれ込んだ。ラウダは予選11位スタート。プロストが1周目でトップに立ち独走したが、ラウダは20周目で6位まで浮上するとその後も順位を上げ、最後は2位で走行中のナイジェル・マンセルのブレーキ不調によるペースダウンに乗じて2位を確保し、プロストにわずか0.5ポイントの差で、3度目のワールドチャンピオンに輝いた。この年間2位との差0.5ポイントはF1史上最小得点差でのワールドチャンピオンであり以後も更新されていない。

1985年F1オランダGP
予選10番手からスタートしたニキ・ラウダは、終盤アラン・プロストの追い上げを巧みにブロックし0秒232の微差で抑え込んでトップでチェッカー。F1通算25勝目(1985年シーズン唯一の優勝)を果たし、これがラウダのF1最後の優勝となった。

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カテゴリー: F1 / メルセデスF1