キミ・ライコネン
元ウィリアムズの会長を務めたアダム・パーは、ウィリアムズがキミ・ライコネンの獲得に失敗したのは、ロータスの方が競争力のあるクルマをオファーできたからだと主張した。

ウィリアムズは、2011年末にキミ・ライコネンと交渉していたが決裂。最終的にキミ・ライコネンはロータスでF1に復帰を果たし、F1アブダビGPで優勝、ドライバーズ選手権を3位で終える活躍をみせた。

当時、ウィリアムズとキミ・ライコネンとの交渉が決裂したのは、キミ・ライコネンのマネージャーがウィリアムズが提示した額よりも多くのお金を要求したという説と、ウィリアムズがキミ・ライコネンが望んだチーム株式の20%を譲りたくなかったという説が報じられていた。

昨年ウィリアムズの会長を辞任したアダム・パーは、2012年のドライバーとしてキミ・ライコネンと交渉していたことを認めた。

「2012年にウィリアムズにキミを連れてきたかった」とアダム・パーは Autosprint にコメント。

「だが、私は彼に競争力のあるクルマを保証することができなかった。彼と話をしていたとき、彼のハングリーさと決意に感銘を受けた」

「それでも、その時点での彼の価値は不明だったし、我々はクルマがどれくらい強いのかわからなかった」

ウィリアムズは2012年、パストール・マルドナドがF1スペインGPで優勝し、コンストラクターズ選手権を8位で終えた。

関連:
キミ・ライコネンのマネージャー、F1復帰交渉の舞台裏を明かす - 2011年12月1日
キミ・ライコネン、ウィリアムズとの交渉を認める - 2011年11月10日

このエントリーをはてなブックマークに追加

カテゴリー: F1 / ウィリアムズ・レーシング / キミ・ライコネン