マーク・ウェバー F1初優勝
マーク・ウェバーが、F1初優勝の喜びを語った。

2日が経過しましたが、まだ優勝の余韻を楽しんでいますか?
もちろん。本当にスペシャルな日だった。個人的にも非常に嬉しい出来事だったが、チームが再度の1−2フィニッシュを達成したことももっと注目されるべきだと思う。これもまた非常に重要なことだ。ここ数戦は本当に好調で、最高のリザルトを達成することができた。2回の2位完走があり、自分が波に乗っているのは分かっていた。そして、優勝することができた。やっと優勝できて本当に嬉しいよ。

ポールポジションを獲得した土曜日の夜、早く肩の荷を降ろしたい。と言っていましたが、達成感よりもほっとした気持ちの方が大きいですか?
確かにそうかもしれない。レースの出場回数は多いが、そのほとんどは優勝のチャンスがなかったからね。優勝できるクルマではなかったということもあるし、ミハエル・シューマッハというドライバーの存在もあったからね。当時はフェラーリかマクラーレンじゃなければ優勝できなかったが、現在のF1では他のチームにもチャンスがある。間違えがなければ、毎回のグランプリで表彰台と優勝を狙えるポジションにレッドブル・レーシングがいるということは本当に嬉しいことだ。

レースの健闘を祈るメールが100件以上もあったということですが、プレッシャーは感じましたか?
ウィニング・ラン
予選終了後に80か90件、レースの後に160件ぐらいメールが来た。そんなに大勢の人々がぼくの携帯のアドレスを持っているなんて知らなかった!でも、正直に言ってかなりリラックスしてレースに臨むことができた。ぼくはドライ・コンディションのレースになることを期待していた。その方が決めなければならないことが少なくて良かったからね。ブラウンの2台は多分大丈夫だろうと思っていたが、レースのどこかの時点でセバスチャンがぼくの本当のライバルになるだろうとは思っていた。スタート後はかなり早い段階からヘイキ(コバライネン)が出てきたり、ドライブスルー・ペナルティがあったりして波乱含みとなったが、40周を終えた頃には、安全にフィニッシュラインまで走り続ければ優勝できると思っていた。

マンセル、ハッキネンといったドライバーも優勝までには時間がかかりましたが、その後は無敵でした。彼らは競争力に優れたクルマで戦っていたということもありますが、今回のレースをきっかけに今後は今までよりも楽に優勝できると思いますか?
ポールポジションと優勝という未知の領域を越えたので、優勝の助けにはなるかも知れない。妨げにはならないことだけは確かだ。追うのではなく、追われる立場になるのは初めてだった。もちろん、これからも厳しいレースはあるだろうが、この勢いが継続することを願う。しかし、今回のこの優勝で、これまで以上に楽に戦えるようになるかも知れない。

日曜日に帰国されましたが、その後、お祝いはしましたか?
ちょっと学生みたいな間違えを犯してしまった。イギリスに到着したのは日曜日の夜遅くだったが、それはオーストラリアの早朝だったんだ。ヨーロッパのメディアに対応した後に、オーストラリアからの連絡に対応しなければならなかった。大勢の人がお祝いの連絡をくれたので、夜9時から深夜2時までずっとやっていたよ。電話のスイッチを切ってしまう気にもなれなかったので、あまり眠れなかった。

月曜日にはレッドブル・レーシングのファクトリーの反省会に出席されましたが、どのような出迎えを受けましたか?
レッドブル・レーシング
最高だった。イントロは、ぼくがフィニッシュラインを越えた時の無線の録音だ。あんなに長いこと叫んでいたなんて思わなかった!みんなのレスポンスもすごかった。ファクトリーには、ジャガー時代から苦楽を共にしてきた人々がまだ大勢いる。F1に来て間もない新しいメンバーもたくさんいる。素晴らしい旅路のスタート地点に立っている人々だ。ディートリッヒ(マテシッツ)がやってくれた事の全て、エイドリアン(ニューウウェイ)と彼のグループ、そしてクリスチャン(ホーナー)など、ルノーを含む共に働く仲間たちがチームとして努力した結果、我々はようやく成功へと続くドアのカギを開けることができた。過去数年間は厳しかったが、我々は新しいレギュレーションを最大限に活かし、最前線で戦えるチームであることを証明した。今後、乗り越えてやって来る他のチームとの戦いも今シーズンは予想されるが、それがF1だ。心構えはできている。

月曜日の夜はオーストラリアのクリケットチームと夕食に出かけましたが、そこでの様子を教えて下さい。
リッキー・ポンティングの基金のチャリティー・ディナーだったのだが、最高の会だった。彼がぼくとアンのために素晴らしいテーブルを用意してくれていて、憧れのクリケット選手たちと素晴らしい夜を過ごすことができた。1000人以上の人々が集まったパーティーで、ぼくが出席したことをみんなが喜んでくれた。イギリス人もオーストラリア人と同じようにぼくを迎えてくれて嬉しかったよ。

オーストラリアでの反響はもの凄いですね。オーストラリアは本当にスポーツ好きの国なんですね?
そう、新聞の一面に載るのは大変なことだが、ぼくの記事は一面に掲載されたので、それも最高の気分だったよ。レッドブルのためにも良かったと思う。確かにオーストラリアでは、世界の舞台でアスリートが何かを達成すると大騒ぎになるね。

先週末はジャック・ブラバム卿の話もたくさん出ましたが、レースの後、彼から連絡はありましたか?
彼と、彼の息子のデイビッドからEメールをもらったよ。嬉しかった。ブラバム・ファミリーは、いつもぼくに良くしてくれるんだ。15年前、ジャックにヨーロッパの奴らをやっつけるのは良い気分だぞと言われたのを覚えてくる。もうちょっと乱暴な言い方だったけどね!ぼくの勝利に彼がいくらか関わっているのは確かだ。ぼくの父親が彼の大ファンだったんだ。ジャックがウェバー家にともした小さな種火がなかったら、ぼくはレースをしていなかったかも知れないからね。

スローダウンラップでは涙声のようでしたが、パルクフェルメに戻るまでに何を考えていたか覚えていますか?
主にふたつのことだ。チームのメンバーの顔が見たいと思っていた。まず最初に思うことはいつも同じだ。インラップも悪くはないが、メンバーの元に戻りたい一心だね。もうひとつ思ったのは、オーストラリアの国歌が聴きたいということだ。

レースの前に、レースをリードすることになったら、今までで一番長いレースだと感じるだろうと言っていましたが、その通りでしたか?それとも、アクシデントやペナルティなど色々とあったので違いましたか?
普通だったね。その他のことも、それほど妨げにはならなかった。40周目から47周目ぐらいはちょっと長く感じたかも。空が暗くなって、ちくしょう、雨が降る。と思った。あの時は先を急ぎたい気分だった。余計な決断を下すのが嫌だったからね。最後の10周はそれほど長くは感じなかった。反対に良い気分だった。リラックスしてレースを最後までコントロールできたことに自分でも驚いたよ。

チームメイトとの差はわずか1.5ポイントですが、今後、どのようにこれに対応していくのでしょうか?
簡単なことだ。ぼくたちドライバーとチームがやらなければならないのは、サーキットに来て自分のベストの仕事をすることだけ。土曜日の予選の重要性はわかっているが、ぼくやセバスチャンの予選が予想通りにスムーズに運ばないこともあるかもしれない。それプラス、他のライバルたちもそこに加わるわけだから、ふたりだけの戦いというほど単純なものではないんだ。レースではセバスチャンとぼくの戦いも多いかも知れないし、それはポイントに反映されるだろう。パフォーマンスに差が出るまでは、シーソーゲームが続くだろう。シーズンの最後まで1−2フィニッシュを期待するのは現実的ではないし、今後はおもしろいグランプリもあるだろう。チームにとっては、ふたりのドライバーがほとんどポイントが同じというのは驚くべきポジションだし、コンストラクターズ・チャンピオンシップにとっても、とても良い兆しだと思う。ドライバーズ・チャンピオンシップでは、グランプリ2つ分ポイントで勝るジェンソン(バトン)が大きなハードルだ。

レース終了後、お父様が人生最高の日だ。と言われた後に、少なくとも他のいくつかの出来事と同じぐらい素晴らしい。と付け加えられました。控え目な方ですね。人生や仕事において、お父様はどのようにサポートしてくれたと思いますか?
アラン・ウェバー (マーク・ウェバーの父親)
特に幼少期は最高の父親だったと思う。幼い頃や十代の初めは自分では大きな決断を下せないからサポートが必用だ。彼はシングルシーター好きで、タクシーでレースはして欲しくない。世界のトップレーサーはシングルシーターに乗るものだ。と言っていたので、その道を歩んできた。思い返すと、彼はぼくに対して非常にバランス良く接してくれた。クルマに乗っていない時は、何のプレッシャーもなく自由にしてくれた。ぼくのレース仲間たちとも何も問題はなかった。ひどい父親は敵対心を持ってしまうからね。彼は深入りはしないんだ。いつも、それが彼のスタイルだった。もちろん、ぼくのことは自慢に思っているが、干渉はしない。この特別な日を父に見てもらえて嬉しかった。

このエントリーをはてなブックマークに追加

カテゴリー: F1 / マーク・ウェバー / レッドブル・レーシング