ザウバーF1最後の記憶 創設者ペーター・ザウバーが語る33年

33シーズンにわたってF1に名を刻んできたザウバーの名は、2026年F1シーズンを前に姿を消し、チームはアウディの時代へと移行する。その節目にあたり、創設者であるペーター・ザウバーが、自身のモータースポーツ人生を振り返った。
ペーター・ザウバーは1970年、モータースポーツ活動を開始した。最初に製作したマシンは「C1」と名付けられ、その「C」は妻クリスティアーネの名前に由来する。1リッターのフォード・コスワース製エンジンを搭載し、スイス・ヒルクライム選手権に参戦したのがすべての始まりだった。
それから23年後の1993年、ザウバーは「C12」でF1に参戦する。ドライバーはカール・ヴェンドリンガーとJJ・レートの2人で、全16戦中6戦でポイントを獲得した。
しかし、ザウバーにとって特別な年として強く印象に残っているのは、2001年、2008年、そして2012年の3シーズンだという。2012年は、スイスのファクトリーから20年以上率いてきたチーム運営の第一線から、決定的に身を引いた年でもあった。
「勝利は重要だ」2008年モントリオールの1-2フィニッシュ
「ひとつは、BMWと一緒に成し遂げたモントリオールでの1-2フィニッシュだ。いや、BMWが我々と一緒に、というべきかもしれない。なぜなら、レースに勝つことは重要だからだ」
そう語ったペーター・ザウバーが指しているのは、2008年F1カナダGPでのロバート・クビサとニック・ハイドフェルドによるワン・ツー・フィニッシュだった。
「最も重要だったのは2001年」ルーキー2人での躍進
しかし、彼自身が「最も重要だった」と振り返るのは、2001年のシーズンだ。
「私にとって最も重要だったのは、2001年にコンストラクターズランキング4位を獲得したことだ。ニックとキミという、ほぼ2人のルーキーと一緒に、だ」
その前年、プロストとの厳しいシーズンを経たあとでの結果だった。
「この2人で4位を獲得できたのは、本当に素晴らしかった」
この4位は、ザウバーがF1に参戦してから最初の14年間で最高位の成績であり、期待を大きく上回るものだった。
「もちろん驚きはあった。でも、キミはその年、本当に素晴らしいドライバーだった。ニックはより完成されたドライバーだったが、この組み合わせがとても良かった。そして、もちろんマシンも悪くなかった。良いマシンが必要なんだ」
2012年 引退の年に残した4度の表彰台
さらにザウバーは、自身が一線を退いた2012年についても振り返る。
「そして、私自身の終わりの年だ。2012年には4回の表彰台があり、2回は2位だった。その中にはモンツァでフェラーリを破ったレースも含まれている」
当時のザウバーはフェラーリ製パワーユニットを搭載しており、その母体を本拠地で打ち破った結果は、強い印象を残した。

アブダビで迎えた最後のレース
82歳のペーター・ザウバーは、今月初めにアブダビを訪れ、自身の組織としての最後のレースを見届けた。過去2年間、チームはステークとパートナーシップを組んでいた。
「特別な瞬間だった」と語りつつも、「それほど感情的ではなかった」とも明かす。
「1年以上前から、この時が来ることは分かっていたからね」
それでも、振り返れば「ひとつではない」数多くの思い出があったという。これらの言葉は、RacingNews365の独占インタビューの中で語られたものだ。
「最も楽しかったドライバーは?」その答えは
最後に、これまで一緒に仕事をしてきた中で、最も楽しかったドライバーを問われたペーター・ザウバーは、ひとりに絞ることを避けた。
「ひとりを選ぶことはできない。誰もが特別だった。特別に良い、という意味ではないかもしれないが、特別だったんだ」
こうしてザウバーの名はF1のグリッドから姿を消し、来季からはアウディが新たな時代を切り開くことになる。だが、その礎を築いたペーター・ザウバーの足跡は、F1の歴史の中に確かに刻まれている。
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