トヨタ:ダブル入賞(ヨーロッパGP決勝)
2008年8月25日

7番手からスタートしたヤルノ・トゥルーリはそのまま順位をキープ、13番手からスタートしたティモ・グロックはスタート直後に順位を3つ上げ、10番手となった。
その後、数台のクルマがリタイヤしたが、両者は共に順位を上げ、懸念されていたセーフティカーが導入されることもなく、最終的にヤルノ・トゥルーリが5位、ティモ・グロックが7位でチェッカーを受け、両車共に入賞しポイントを獲得してレースを終えた。
BMW:クビサが3位表彰台(ヨーロッパGP決勝)
2008年8月25日

ロバート・クビサ (3位)
「スタートはかなり良かったけど、1コーナーで縁石に乗ってしまい、ルイスと接近した。2コーナーではルイスをオーバーテイクしようとしたけど、フェリペがかなり早くブレーキングしているのが見えて、それはあまりにリスクが大きかった。ブレーキポイントを通り過ぎて、彼にクラッシュしそうだったからね。次の数周では僕は一貫してルイスより少し遅かった。突然、白いビニール袋がトラックを横切るのが見えて、それを避けることができず、マシンの下に入り込んでしまった。2コーナーでステアリングが切れなくなり、かなり危険だったよ。幸運にも、袋の大部分がすぐに飛び去ったけど、次のセクターで僕の信頼感は非常に低くなってしまい、3秒くらい失ってしまった。最終的に3位でフィニッシュした。やはり昨日の良い予選の結果が、今日の結果のために重要だったと思う。」
ホンダ:2台完走もポイントには届かず(ヨーロッパGP決勝)
2008年8月25日

両ドライバーとも1ストップ戦略を選んだが、予想されたセーフティカーはなく、重い燃料で苦しいレースを強いられた。
ブレーキに問題があったバリチェロは、ピットスタートを選んだが、ポジションをあげることはできなかった。
トロ・ロッソ:ベッテルが6位入賞、ボーデ10位(ヨーロッパGP決勝)
2008年8月25日

セバスチャン・ベッテル (6位)
「信じられないよ!最高の1日だ。楽しかったけどタフで暑かった。素晴らしいトラックだね。スタートは汚れた側からでそんなに良くなかったし、ターン1への進入で僕はギリギリ右側にいて、キミ(ライコネン)と非常に接近していた。最初のスティントでヤルノに対して順位を守ことができたけど、彼は燃料をわずかに多く積んでいて、多くコースに留まり、ピットストップで僕をオーバーテイクした。でも、僕たちは今回の結果にとっても満足している。ミスはなかったし、週末ずっとノーミスでパフォーマンスを最大限に発揮した。チーム全体が達成したことを誇ることができると思うし、次のレースでも再びトップ10に入れることを期待している。」
フォース・インディア:パフォーマンスに満足(ヨーロッパGP決勝)
2008年8月25日

ジャンカルロ・フィジケラ (14位)
「非常に暑いコンディションで難しいレースだったけど、全体的に良いパフォーマンスだったと思う。戦略は悪くなかったけど、僕たちは他のサポートレースを見てセーフティカーを予想していた。でも、事故はなにも起こらず、セーフティカーは入らなかった。僕たちのペースは良かったし、他とも離れていなかった。僕たちはギアボックスで前進した。今は集中し続けて、前進し続けなければならない。」
ウィリアムズ:ロズベルグが久々のポイント獲得(ヨーロッパGP決勝)
2008年8月25日

8位入賞のニコ・ロズベルグは、第5戦スペインGP以来となる久々のポイント。
中嶋一貴は1周目でアロンソと接触しフロントウィングを破損。ピットインを余儀なくされ、その影響もあり最終的に15位でレースを終えた。
ルノー:ピケJr.11位、アロンソはリタイア(ヨーロッパGP決勝)
2008年8月25日

母国GPで、スペインの多くの熱狂的なファンが駆け付けたフェルナンド・アロンソだが、オープニングラップで中嶋一貴と接触、リアウィングを失い、ピットで修復作業を行ったがリタイアとなった。
1ストップ戦略を選んだネルソン・ピケJr.は、中団から抜け出すことができず、11位でレースを終えた。ルノーはノーポイントに終わり、4位のトヨタとの差は10ポイントに広がった。
レッドブル:精彩を欠いたレース(ヨーロッパGP決勝)
2008年8月25日

マーク・ウェバー (12位)
「僕たちはただ十分に速さがなかった。レース中に何度かセーフティカーが出てくることを見込んでいたので、1ストップ戦略を実行した。しかし、それは起こらなかった。ペース面で難しいレースだった。起こったことについて多くの分析しなければならない。」
フェリペ・マッサの優勝が確定(ヨーロッパGP)
2008年8月25日

フェリペ・マッサは、ピットから出ようとしたところでフォース・インディアのエイドリアン・スーティルとサイドバイサイドになり、これが危険行為とみなされ審議対象となっていた。