2015年07月のF1情報を一覧表示します。

フェラーリ、ハンガリーのガレージ装飾でジュール・ビアンキを追悼

2015年7月21日
ジュール・ビアンキ
フェラーリは、ジュール・ビアンキの追悼として、今週末に行なわれるF1ハンガリーGPのガレージをファンからのトリビュートで装飾する。

マルシャのドライバーとして参戦した2014年日本GPで重傷を負ったジュール・ビアンキは、17日(金)夜にフランス・ニースの病院で息を引き取った。

フェラーリ・ドライバー・アカデミーのメンバーであるジュール・ビアンキには将来が期待され、元フェラーリ会長のルカ・ディ・モンテゼーモロからはゆくゆくはキミ・ライコネンの後任になるドライバーだと目されていた。

フェルナンド・アロンソ 「ハンガリーは初優勝した特別な場所」

2015年7月21日
フェルナンド・アロンソ
フェルナンド・アロンソが、F1ハンガリーGPへの意気込みを語った。アロンソは2003年のハンガリーGPでF1初優勝を飾っている。

フェルナンド・アロンソ (マクラーレン・ホンダ)
「シルバーストンでクルマは頼もしい走りをしていたし、それは励みになった。僕たちはもっとパフォーマンスを加えられることを期待してハンガリーに向かう。僕たちはゴールを達成するまでパッケージを改善させ続けていく。ハンガリーは、良い思い出があるし、良いチャレンジでもある」

ジェンソン・バトン 「ホンダと優勝した場所に戻るのは素晴らしい感覚」

2015年7月21日
ジェンソン・バトン
ジェンソン・バトンが、F1ハンガリーGPへの意気込みを語った。バトンは、2006年のハンガリーGPでホンダでF1初優勝を飾っている。

ジェンソン・バトン (マクラーレン・ホンダ)
「ハンガリーでのレースは本当に楽しい。タイトでツィスティなレーストラックだ。ちょっとカートサーキットのようだね。暑さは体力的にタフだし、そのチャレンジを楽しんでいる。僕はここで初めてレースで優勝した。ウィナーズ・マップに自分が載ることができた場所として一生連想していくことになるだろう」

ロータス、訴訟を起こしたサプライヤーと和解

2015年7月21日
ロータス
ロータスは、訴訟を起こしたサプライヤーとの間に和解が成立させ、管財措置命令を受けることを免れたようだ。

7月初旬、ロンドンの裁判所の広報官が、債権者がロータスに対して破産宣告を行うよう申し立てを行ったという報道を認めていた。

訴えを起こしたのはトランスミッションの製造会社であるエクストラック社であることも確認されている。

ニュルブルクリンク、現状では2017年のF1ドイツGP開催は困難

2015年7月21日
ニュルブルクリンク
ニュルブルクリンクは、現状では2017年にF1を開催できるかどうか不透明な状態であることを認めた。

本来、今年のF1ドイツGPを開催する予定だったニュルブルクリンクだが、経営破綻による財政難によって今年の開催を断念していた。

F1ドイツGPは、ニュルブルクリンクとホッケンハイムが隔年開催しており、2016年には開催契約を結んでいるホッケンハイムが暫定F1カレンダーに名前を連ねている。

F1:ジュール・ビアンキの“カーナンバー17”を永久欠番に

2015年7月21日
ジュール・ビアンキ 永久欠番
FIAは、F1でジュール・ビアンキが使用していた“カーナンバー17”を永久欠番にすることを決定した。

ジュール・ビアンキは、昨年のF1日本GPでの事故で頭部に重傷を負い、9カ月の入院生活の後、17日(金)に25歳の若さで息を引き取った。

FIAは「FIA会長のジャン・トッドは、ジュール・ビアンキに敬意を表し、カーナンバー17をFIA フォーミュラ1世界選手権の永久欠番にすることを発表した」と声明で述べた。

ニコ・ヒュルケンベルグ 「フェラーリのドアをノックしている」

2015年7月21日
ニコ・ヒュルケンベルグ
ニコ・ヒュルケンベルグにも、2016年にフェラーリでキミ・ライコネンの後任に就く可能性が残っているかもしれない。

先週、Corriere dello Sport は、バルテリ・ボッタスのフェラーリ移籍についてチーム間で合意に至ったと報じた。また、La Gazzetta dello Sport によれば、バルテリ・ボッタスの“オプション契約”を有するウィリアムズはその権利を放棄するにあたり、フェラーリに対して1,850万ユーロ(約24億9,200万円)の高額を要求していると報じた。

小林可夢偉、タイヤ交換後に失速して10位 / スーパーフォーミュラ

2015年7月20日
小林可夢偉
小林可夢偉は、スーパーフォーミュラ 第3戦 富士の決勝レースを10位で終えた。

6番グリッドからスタートした小林可夢偉は、コースのイン側を進み、上位陣に混乱が発生するなか3位へと順位を上げる。序盤のセーフティカー走行が終わった後、7番手以降には早い段階でピットインを敢行するマシンも多くみられたが、トップ6にはその動きが見られず、レースは中盤へ。

ジュール・ビアンキ、将来はフェラーリ加入を約束されていた

2015年7月20日
ジュール・ビアンキ
フェラーリの元幹部の二人が、ジュール・ビアンキには将来のフェラーリシートが約束されていたことを明かした。

ジュール・ビアンキは、昨年のF1日本GPでの事故で頭部に重傷を負い、9カ月の入院生活の後、17日(金)に息を引き取った。

フェラーリ・ドライバー・アカデミーのメンバーだったジュール・ビアンキは、過去に何度もフェラーリのテストに参加しており、2014年にはF1イギリスGPで大クラッシュを喫したキミ・ライコネンに代わり、翌週に実施されたシルバーストンテストを担当している。
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