佐藤琢磨
佐藤琢磨が、インディカー100戦目となったミッドオハイオのレース週末を振り返った。

風光明媚なミッドオハイオで繰り広げられたベライゾン・インディカー・シリーズの一戦でも佐藤琢磨は幸運に恵まれなかった。残り30周でリタイアに追い込まれた結果、No.14 AJフォイト・レーシング・ダラーラ・ホンダは24台の全エントリーのなかで最下位の24位とされた。

金曜日のフリープラクティスでは好調だった佐藤琢磨にとっては、とても残念な結果だったといえる。

「非常に悔しい週末でした」と佐藤琢磨。

「滑り出しは好調で、期待が持てる状況でした。初日の感触は良好だったのです。僕はトップ5に食い込んでいて、ホンダのなかでもっとも速いドライバーのひとりでした」

実際、最初のプラクティスで佐藤琢磨は4番手に入り、チームメイトのジャック・ホークスワースを直後に従える形でホンダ勢のトップに立っていた。そして2回目のプラクティスでも5番手で、ホンダ・ドライバーのなかでは2番手につけていたのである。

「ホンダとシボレーの差はとても小さいように思えたので、勇気づけられました。それと、過去2シーズンはプラクティス・セッションでライバルたちに追いつくのが難しい状況でした。インディカー・テストでは大抵、僕たちはコンペティティブなのに、レースウィークエンドになると状況が大きく異なってしまうのです」

「今年はテストが行なわれなかった代わりに、金曜日には90分間のプラクティスを2度行うことになりました。僕たちは異なるセッティングと考え方で臨み、エアロパッケージも当然異なっています。それらはとてもうまく機能しているように思えました」

もっとも、金曜日が順調だったからといって、その流れが週末を通じて維持されるとは限らない。「ミッドオハイオはとても古いコースです。コース幅が狭く、たくさんの上り坂とコーナーがあって、それらが一体となってひとつのコースを形作っています。そして最大の問題は、コースが古いために舗装の表面が磨り減って滑らかになっていて、このためラバーが乗ってくるまでは非常にグリップレベルが低く、その後、コンディションは急激に変化していく傾向にあります。なにしろ、最初のプラクティスから予選までの間に5秒近くもラップタイムは上がっているのです。まるでギアを1速上げたくらいスピードが変わったように感じられます」

土曜日の午前中に行われた最後のフリープラクティスで、フォイト・チームのペースは大きく落ち込んでしまう。「速さがなくなりました。小さな問題があったのは事実ですが、他のドライバーはみんな速くなっていました。特にシボレー勢は目立って速くなったようです。ところが、彼らとは対照的に僕らは後退してしまったので、予選では異なることを試さなければいけなくなりました」

佐藤琢磨は自分の予選グループで8番手になったため、第2セグメントには進めず、16番グリッドからスタートすることが決まる。けれども、佐藤琢磨はあと100分の6秒速ければ第2セグメントに進出できたほか、3番手となったファン-パブロ・モントーヤとは0.2秒しか差がなかった。このような接戦こそが、まさしくインディカー・シリーズだといえるだろう。

「僕たちはマシンのバランスを整えようとしましたが、予選はあまりに接戦でした。最終コーナーで少し姿勢を乱しましたが、これで失ったのは0.1秒にも満たないでしょう。でも、もうそれで十分でした。ジャックとジャスティン・ウィルソンはもう1ラップ周回してトップ6に滑り込みました。『僕ももう1周していれば……』というのは簡単ですが、あまりにもタイトな戦いでした。残念な結果です」

日曜日朝のセッションでは右リアタイアがスローパンクチャーを起こすという不運に見舞われた。マシンは引き続きナーバスで、しかもタイアを交換した佐藤琢磨がコースインするとセッションは赤旗中断となってそのまま幕を閉じた。いっぽう、朝早いセッションでバランスを正しく整えることは、あまり容易ではない。「それでもポジティブと思われたのは、ジャックがこのセッションで好調だったことで、これには勇気づけられました」

ミッドオハイオはオーバーテイクが極端に難しく、しかも佐藤琢磨は16番グリッドからのスタートだったので、レース戦略がすべてといえた。もっとも、過去、このコースで上位入賞を果たしたのは、下位グリッドからのスタートにもかかわらず巧妙な戦略で追い上げを図ったレースばかりだったので、フォイト・チームは最初のピットストップをやや早めに実施し、他のドライバーとは異なるタイミングで給油を行う戦略を選択する。この時点で、チャーリー・キンボールがスピンしてイエローコーションとなったため、佐藤琢磨はひとつポジションを上げて15番手となっていた。

「他のドライバーに追いついていくことはできました。ただし、イエローに備えるためにはアグレッシブな戦略を採らなければいけませんでした。最初のスティントは予定どおり進み、すべては順調のように思えました」

やがて他のドライバーのなかにも同様の戦略を選ぶ者が現れた。そのなかのひとりだったステファノ・コレッティは佐藤琢磨のマシンに追突。このとき、佐藤佐藤琢磨は19番手でコレッティは20番手だった。このため、琢磨はもう1度ピットストップを行うことになり、コース上に散らばったパーツを回収するためにセーフティカーが導入された。

「このアクシデントでリアバンパーにダメージを負い、ピットストップを余儀なくされました。フォンタナでチームがリアバンパーを交換しようとしたとき、長い時間を要して僕はラップダウンになりました。ところが、次にピットストップしたライアン・ブリスコーはたった15秒でリアウィング・アッセンブリーをすべて交換しました。そこで僕たちもアッセンブリー全体を交換することしましたが、カーボンの構造体に固定するボルトの何本かがダメージを負っていたため、作業に手間取ることとなりました。ここで5分間をロスし、2周遅れとなります。ひどい展開でした」

「その後はイエローのタイミングで周回遅れから脱することを強く期待していましたが、そのような展開にはなりませんでした」

そして24番手を走行していた佐藤琢磨はリタイアに追い込まれることになる。

「僕はカルロス・ムニョスを追っていました。すると彼はターン4でコースアウトを喫したので、何かがあったのだろうと推測しましたが、なんと僕も同じ状況になり、リアが突然滑り始めました。僕はコースに復帰しようとしましたが、グリーンかグラベルにリアバンパーが引っ掛かってしまったらしく、またもやダメージを負ってしまいました。しかし、時間内に交換を終えるのに必要なスペアはもう手元になく、最後のスティントを残して僕らはリタイアせざるを得ませんでした」

このレースにはたくさんのファンが応援に駆けつけていただけに、佐藤琢磨にとっては残念な幕切れとなった。

「とても残念でした。オハイオはホンダにとって重要な生産拠点で、従業員もたくさんおり、今回は僕たちの参戦100戦目を祝ってくれました。暖かい歓迎を受けてとても嬉しかったので、皆さんの応援には心から感謝していました。しかも、今回はファンクラブのメンバーが日本からたくさん訪ねてきてくれたので、僕にとってもっとも苦しいレースのひとつを皆さんに見てもらわなければいけなかったことはとても残念です」

次のイベントまで3週間のインターバルがあるうえ、ミッドオハイオとは大きく異なるポコノのスーパースピードウェイがレースの舞台となる。

「これまで好成績を残しているコースではありませんが、調子は良く、どちらかといえば僕らが得意としているコースです。今度こそいいリザルトが得られると期待したいですね」

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カテゴリー: F1 / 佐藤琢磨 / インディカー