タキ井上
1995年のF1ハンガリーGPでのタキ井上の“珍事”から20年の月日が流れた。

タキ井上こと井上隆智穂は、1994年と1995年にシムテックとフットワークで18戦に出場。完走は5回、最高位は8位だった。

しかし、今から20年前のF1ハンガリーGPで、タキ井上は“記録”よりもF1ファンの“記憶”に残る珍事に見舞われた。

フットワークから参戦した1995年のF1ハンガリーGP。タキ井上はエンジントラブルでリタイアした直後、炎上したマシンを消火しようと消火器を手にマシンに向かったところを、同じく消火にやってきたレスキューカーに振り返りざまに撥ねられた。

タキ井上は、全日本F3やヨーロッパF3000で優勝はおろか、表彰台フィニッシュも飾ることはなかったが、日本のスポンサーを独自集め、日本人として4人目のF1フル参戦ドライバーの座を獲得している。

タキ井上は、“20周年談話”として投稿したFacebookで「日本では、各レース専門誌をはじめフジテレビ等々のメディアで神聖化されたF1ドライバーという定義に一石を投じたことも、間違いないと信じる」と述べた。

「タキ井上が、F1GPに参戦するまでは、日本の国内最高格式(F2やF3000)でタイトルを獲得した選ばれたものだけが、巨額の契約金を手にしてF1GPに参戦できる信じられていたが、タキ井上以降のすべての日本人F1ドライバーたちは、そのタイトル獲得という踏み絵をせずにF1に参戦していった」

「また、20年前までは、F1ドライバーは、巨額の契約金をもらいF1チームと契約してF1GPに参戦していくと、日本だけでは信じさせられていたが、タキ井上以降、スポンサー持ち込みによってシート料を払ってF1チームと契約することが、はばかりなく事実としてレース専門誌等々で伝えられるようになった」

「このタキ井上のF1参戦が、少なからず、日本のF1を目指すドライバー達に対して、ヨーロッパスタンダードの現実を紹介し、F1が少しだけ、身近なものになったと信じる」

「しかし、タキ井上が、F1GPで残せたものは、この愚かなハンガリーの出来事と、そして、モナコでの出来事だけであって、日本人ドライバーとしての結果は皆無である事実も記しておきたい」

今年のホンダがマクラーレンのパートナーとしてF1に復帰したが、F1グリッドに日本人ドライバーの姿はない。また、過去にF1参戦したドライバーの最高位は、鈴木亜久里、佐藤琢磨、小林可夢偉の3位。いまだ、F1で表彰台の頂点に立った日本人ドライバーはいない。

「過去にこれだけ沢山の日本人F1ドライバーがF1に参戦して、いまだF1で1勝もできていないという不名誉な事実を覆せるような日本人F1ドライバーの誕生を期待してやまない」とタキ井上は語る。

「F1で日本人ドライバーが勝利するには、そのドライバーの資質以上に、F1GPで勝てるチームと契約するというマネージメントが必要不可欠なのだが、この分野においては、日本人ドライバーのマネージメントは、優勝するには、いまだほど遠いものであることを最後に付け加えたいと思う(汗)」



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カテゴリー: F1 / F1関連