アダム・パー
元ウィリアムズの会長アダム・パーは、バーニー・エクレストンからF1から身を引くことを求められたことを認めた。

フランク・ウィリアムズの後継者に指名され、事実上ウィリアムズのチーム代表の役割を果たしていたアダム・パーだが、チーム内部やF1パドックでの地位を確立しつつあった今シーズン序盤に突如辞任していた。

アダム・パーの離脱は、バーニー・エクレストンとウィリアムズの間で難航していたコンコルド協定の交渉に終わりが見えた時期と一致しており、皮肉をもって受け入れられていた。

Telegraphは当時、アダム・パーが“権力闘争の犠牲者”であることをほのめかしており、最新ではアダム・パーがバーニー・エクレストンに対して法的手段に出ると噂されている。

ウィリアムズは、アダム・パーの離脱の理由は単に家族とより多くの時間を過ごすためだと述べていた。

しかし、アダム・パーは自著『The Art of War - Five Years in Formula One(ジ・アート・オブ・ウォー F1での5年間)』において次のように明かした。

「私はその週に辞任した。正しいか間違っているかはともかく、エクレストンが役員会に対して、私がウィリアムズを運営する限りはコンコルドのオファーはないと話したのだと思いながら」

「その状況下で、私はチームが彼とできる限り良い契約を結べるように身を引くことを選んだ。私の辞任が発表された翌日に申し入れがあった」

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カテゴリー: F1 / ウィリアムズ・レーシング / バーニー・エクレストン