スーパーアグリF1チームの参加申請を既存の全チームが同意した日
スーパーアグリのF1への参加申請は2005年のこの日に現実になったが、正式な承認にはさらに1か月待たなければならなかった。参戦に必要な4,800万ドルの保証金が用意できず、最初の申請は却下された。

2006年の公式期限後に再申請したため、既存の全チームの同意が必要だった。ミッドランドF1チームが最後の同意者となり、12月22日にようやく受理された。そして、保証金が支払われ、締切前日である2006年1月26日に、FIA(国際自動車連盟)からエントリーが認められた。

元F1ドライバーの鈴木亜久里によって設立されたスーパーアグリは、ホンダの非公式『Bチーム』であり、公式には東京に本拠地を置いていた。しかし、実際の活動拠点はオックスフォードシャーのリーフィールドテクニカルセンターにある旧アローズのファクトリーだった。

F1におけるスーパーアグリの急速な栄枯盛衰
チームはオール日本人ドライバーでスタートした。後にインディ500ウィナーとなる佐藤琢磨がリードドライバーを務め、井出有治がセカンドカーを担当した。しかし、井出はわずか4レースにとどまり、サンマリノGP後にフランク・モンタニーに交代。

モンタニーは7レースを走ったところで、日本人ドライバーの山本左近に交代した。しかし、このシーズンはリタイアが相次ぎ、ルーキーイヤーながらポイントを獲得することはできなかった。

2007年も佐藤琢磨はチームに残り、イギリス人ドライバーのアンソニー・デビッドソンが加わった。佐藤はスペインとカナダで2度のトップ10入りを果たした。コンストラクターズ選手権ではスパイカーを上回り、マクラーレンは『スパイゲート』によってポイントを剥奪され、最下位に沈んだ。

残念なことに、スーパーアグリは2年目のシーズンから結果を残すことができなかった。財政問題が深刻化し、チームは2008年の4レースを最後にF1から撤退。

マグマ・グループによる買収案も破綻。チームに残された資産は最終的にドイツの実業家フランツ・ヒルマーに売却された。彼は2010年にブラバムの名を冠したチームでF1参戦を試みたが、失敗に終わっている。

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カテゴリー: F1 / スーパーアグリ