クリス・エイモン
F1で勝利を挙げることはできなかったが、その中でも最も優れたドライバーとして認められているクリス・エイモンが、癌との長い闘病生活の末、ニュージーランドで死去した。73歳だった。

クリス・エイモンは、フェラーリでの3年間を含む1963年から1976年にかけてF1に参戦。レッグ・パーネルでF1デビューしたクリス・エイモンは、次第に頭角を現すとエンツォ・フェラーリの目に留まり、1967年にフェラーリへと加入した。

フェラーリでは何度も表彰台やポールポジションを獲得したが、信頼性問題や不運に阻まれて勝利には手が届かなかった。大きな失望を味わい、彼は1969年の半ばにフェラーリを去る。

その後、マーチやマトラ、ティレルを渡り歩き、1974年には自身のチーム「エイモン」を設立するが資金難により撤退。BRMを経て1975年と1976年にエンサインとウルフで走り、F1キャリアを終えた。

クリス・エイモンは、1976年のF1ドイツGPで起きたニキ・ラウダの恐ろしいクラッシュを目撃したことがきっかけで引退を決意。炎に包まれて残骸と化したニキ・ラウダのフェラーリを見て、クリス・エイモンはレースの再スタートを拒否し、エンサインに解雇された。これがF1引退へとつながった。シーズン末にいったんウルフと契約するも予選通過はしていない。

ポールポジション5回、リーダーラップ183周は、いずれもF1未勝利ドライバーでは最多であり、「勝てそうで勝てなかったドライバー」の筆頭とも称され、のちに「最強の未勝利ドライバー」とも呼ばれた。

しかし、クリス・エイモンはF1以外で成功を味わっている。1966年に同じニュージーランド出身のマクラーレンのチーム創設者であるブルース・マクラーレンとル・マン24時間レースで優勝している。

クリス・エイモンの訃報を受け、マクラーレン・グループCEOのロン・デニスが弔意を示した。

「今朝、クリス・エイモンが他界したとのニュースを聞き、深い悲しみを覚えた」とロン・デニスは述べた。

「クリスは96戦のグランプリをスタートしたが、一度も勝っていない。だが、彼はこの最高レベルで戦ったレース未勝利のドライバーとしては最も偉大なドライバーだったといって間違いないだろう。あと少しで勝利という機会は何度かあったが、どういうわけかチェッカーフラッグを受ける前にいつも運が尽きてしまうようだった」

「しかし、彼はちょうど50年前にドライバー仲間であり、友人でもある同郷のブルース・マクラーレンと強力な7.0リッター フォードでル・マン優勝を果たした。私はそのブルースの名前を掲げるチームに仕事人生を捧げてきた。クリスとは何年も会っていなかったが、彼との思い出は良いものばかりであり、彼は私が長いレーシングキャリアで出会った中で最も好ましい人物だった」

「それらを踏まえ、私はこの機会に3,300人の全マクラーレン従業員を代表して、偉大なニュージーランド人、真の紳士、そして、過去最速のレーシングドライバーの1人だったかけがえのない人物、クリストファー・アーサー・エイモンのご家族、ご友人に心から哀悼の意を捧げたい」

「ご冥福をお祈りします」

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カテゴリー: F1 / F1関連