ニッキー・ヘイデン MotoGP スーパーバイク世界選手権
2017年5月22日。レジェンド、2006年のMotoGP王者のニッキー・ヘイデンは、当時参戦していた17年スーパーバイク世界選手権の第5戦イタリア・イモラ大会終了後、イタリアに滞在して、自転車トレーニング中に自動車事故に遭い、入院先の病院で死亡。

今日、一周忌を迎え、同世界選手権やMotoGP世界選手権のパドックをはじめ、世界中のファンから誰からも愛されたヘイデンを偲ぶメッセージが送られた。

サーキット・オブ・ジ・アメリカズは、第3戦アメリカズGPの開催前に、愛用していたゼッケン番号『69』のデザインを18コーナー横の丘に描き、『Hayden Hill(ヘイデン・ヒル)』と命名。

イモラ・サーキットこと、アウトドローモ・インテルナツィオナーレ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリは、スーパーバイク世界選手権の際に、イタリア人カメラマン、ミルコ・ラッザリ主宰の写真展『Million Dollar Smile(ミリオンダラースマイル)』を開催。

ニッキー・ヘイデンの家族は、6月8日に故郷のケンタッキー州オーエンズボロ市のコンベンションセンター正面に彫刻を設置する除幕式を行い、市長が6月9日を『Nicky Hayden Day(ニッキー・ヘイデンの日)』に設定することを宣言。

また、ミサノ自治体は、元ヘイデンのメカニックを担当したデニス・パッツァリーニを中心とした友人たちの提案を承認して、記念公園『Giardino Nicky Hayden(ニッキー・ヘイデン・ガーデン)』を、ミサノ・ワールド・サーキット‐マルコ・シモンチェリ付近に建設。近々に完成する。

2006年にMotoGPチャンピオン獲得。レジェンドライダーとして殿堂入り

アメリカ・ケンタッキー州のオーエンズボロ出身のニッキー・ヘイデンは、1999年にAMA全米スーパースポーツ選手権でタイトルを獲得。2002年には、AMA全米スーパーバイク選手権で史上最年少のチャンピオンに輝き、2003年からホンダのファクトリーチーム、レプソル・ホンダ・チームからMotoGPクラスへの参戦を開始。1年目総合5位、2年目総合8位、3年目の第8戦アメリカGPで初優勝を挙げて総合3位に進出。4年目の2006年には第8戦ダッチTTと第11戦アメリカGPの優勝を含む10度の表彰台を獲得し、最終戦バレンシアGPでチャンピオンに輝く。

2009年、6年間所属したレプソル・ホンダからドゥカティのファクトリーチーム、マールボロ・ドゥカティ・チームに移籍。2014年からは、アスパル・チームから参戦。2015年11月、通算216戦目となった最終戦バレンシアGPで、キャリアの功績が評価され、レジェンドライダーとして殿堂入り。

2016年、スーパーバイク世界選手権に転向。ホンダ・ワールド・スパーバイク・チームから参戦すると、第6戦マレーシア大会の第2レースで優勝を挙げ、2つの世界選手権で勝利を挙げる快挙を達成。同年には、MotoGPクラスの第14戦アラゴンGPと第16戦オーストラリアGPに負傷代役として参戦。

2017年は、スーパーバイク世界選手権に継続参戦していた。

『Kentucky Kid(ケンタッキー・キッド)』は、MotoGP世界選手権とスーパーバイク世界選手権に参戦中、サーキット内外で親しまれ、正真正銘のレジェンドとして、ライバルたちをはじめ、関係者、世界中のファンから尊敬されていた。

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カテゴリー: MotoGP