ホンダF1特集:ガスリーのF1初優勝で報いたアルファタウリとの絆
ホンダF1のマネージングディレクターを務める山本雅史が、アルファタウリ、そして、ピエール・ガスリー選手とともにつかみ取ったF1イタリアGPでの勝利について語った。

F1イタリアGPではアルファタウリ・ホンダF1のピエール・ガスリーが優勝。2017年にマクラーレンと離別し、2018年からトロロッソとパートナーシップを開始してから50戦目という節目のレースでの勝利だった。

それはトロロッソとの交渉を担当した山本雅史にとっても感慨深い勝利だった。

今のホンダ F1があるのはアルファタウリのおかげ
この勝利は、他のメンバーやファンのみなさんと同様に、本当にうれしくてうれしくて、少しでもこの喜びをみなさんと分かち合えればと思っています。
田辺テクニカルディレクターや本橋チーフエンジニアなんかもいろいろなところで語ってますが「今のホンダがあるのはアルファタウリのおかげ」ということは、私だけでなく、ホンダ F1の中にいる誰もが感じているはずです。

当時トロロッソと呼ばれていた彼らとのパートナーシップは、2018年から始まりました。それまでのホンダはF1復帰から3年間、勝利はおろか表彰台もゼロという状況で、構造・制御方法ともに極めて複雑な現代F1のパワーユニット(PU)開発の壁にぶつかっている状態でした。4つあるPUマニュファクチャラーの中では最も後発で、参戦に間に合わせるために短い期間で開発してきたことが大きく響き、2017年当時はパフォーマンス・信頼性ともにどのライバルに対しても大きく劣っていたと思います。

そんな中、2017年限りでマクラーレンとの離別が決まりつつある状況下で、我々とのパートナーシップ締結に手をあげてくれたのがトロロッソでした。PUはマシンの心臓部であり、どれだけ車体が優れていてもPUからのパワーが劣っていればレースに勝つことはできません。同じレースで言えば、競馬でいくら優秀な騎手がいても、肝心の競走馬が速くなければトップになれないことに似ています。当時のホンダは、いわばスピードもなくケガもしやすい競走馬だったと言えるかもしれません。

そんな状況でも、トロロッソ(現在のアルファタウリ)代表のトストさんは「ホンダならできる。俺たちはホンダの力を信じている」と、我々の将来性に賭けた上で、「ぜひパートナーシップを組んでほしい」と言ってくれました。あのとき、あの状況でホンダとパートナーシップを組むことは勇気のいる決断だったと思いますし、それでもホンダの持つ可能性を信じてくれたことに今でも本当に感謝しています。

常にオープンな姿勢で、二人三脚の開発に
その後、実際にパートナーシップを開始した後も、トロロッソは常にオープンで率直な姿勢とともに私たちに接してくれました。車体を作るコンストラクター(チーム)と、PUを作るマニュファクチュラーは、我々のような「ワークスチーム」という体制下では、マシン全体のコンセプトを決めるコンストラクターが開発の主導権を握ることが多いです。しかし、トロロッソの場合は「ホンダは何をしたいのか」「どうすればいいと思っているのか」と言うことを必ずこちらに確認し、それを踏まえて車体とPUのパッケージが最適化するように開発を進める手法を取ってくれました。一言で言えば「トロロッソとホンダで一緒に一歩一歩マシンを作り上げていった」というところでしょうか。そのような開発を通して、ホンダとしても技術面でそれまで知らなかったことを多く学んでいきました。

コミュニケーション部分では、イタリア企業にとって地理的にも文化的にも遠い日本の企業とチームを組むということは大きなチャレンジであったはずです。しかし、我々とのプロジェクトを開始する前にはトロロッソ社内で日本文化に関する講習を社員向けに行うなど、ホンダと働くことに対してさまざまな配慮をした上で、二つの企業が一つのチームとして機能するように努めてくれました。当時の私たちは少し自信を失っていた部分がありましたし、日本人の傾向として引っ込み思案なところもありました。そういった中でトロロッソのほうからオープンに「俺たちなら一緒にできるんだ!やってやろうぜ!」と迎え入れてくれたことは、私たちに改めて前に進んでいくための自信と勇気を与えてくれました。

この背景には、イタリアやラテン特有の明るい気質という部分に加え、トップであるトストさんの配慮の深さ、器の大きさがあると感じています。こういった部分についても、本当に感謝してもしきれないといった思いです。もしかしたら、知らないうちに「おもてなし」をされていたのは私たちの方だったかもしれませんね。もちろん、ホンダのエンジニアたちがその想いにこたえる形で懸命に開発を続け、トロロッソと一緒にレースを戦ってきたことが現在の結果につながっていると思っています。

いずれにせよ、ホンダがトロロッソ/アルファタウリに救われたということは間違いないですし、それに対して私たちも全力で応えてきました。決して平たんな道のりではなく、ここまで多くのアップダウンを繰り返してきましたが、その分、ホンダとトロロッソ/アルファタウリとの関係は、一つのチームとマニュファクチュラーというところを超えていて、本当に相思相愛、それぞれのメンバーが役割ごとに固く結びついています。

いずれアルファタウリと勝利を祝えると思っていた
それだけに、今回、アルファタウリとの初勝利を挙げられたことは、みなさんと同じようにで大きな驚きと喜びを伴うものでした。ただ、私が皆さんと少しだけ違ったかもしれないのは、驚きの理由が「勝利のタイミングが想像よりも早くきた」ということだったことかもしれません。

2018年に、翌年からのレッドブル・レーシングとのパートナーシップ締結を交渉しているころ、トストさんに相談に行った際に「ヤマモト、トロロッソとホンダが勝つにはあと5年かかる。だからレッドブルとパートナーシップを組んで、先にそっちで成績を残すべきだ」と言われていました。

そのときから、”二人三脚で一緒に勝ちたいが、まずはレッドブルで勝利し、その後絶対にトロロッソとも勝つぞ”という想いを強く持つようになりました。大きな恩のあるトロロッソ と勝つことは、我々の、そして私自身の悲願でした。

ホンダは2つのチームどちらとも真剣に勝つことを狙ってレースに出ているので、いつか勝てるということは疑っていませんでしたが、それがパートナーシップ3年目、今回の50戦目で訪れるとは思っていませんでした。

うれしい驚きと言ったところですし、本当に二つのチームが一緒に、すべてのメンバーの力によって掴み取った勝利でした。「Scuderia アルファタウリ ホンダ」という、ホンダの名前が入ったチーム名が呼ばれたこともとても感慨深く思っていますし、きっと一生忘れられない瞬間になるでしょう。

ガスリー選手を近くで見てきて
そしてもう一つ、触れておかなくてはいけないのは、ピエール・ガスリー選手のことです。

ホンダのF1には4人のドライバーがいて、どのドライバーもそれぞれに大切な存在です。世界で20人しかいないF1ドライバーになるだけあって、4人ともに才能にあふれ、たゆまない努力と研鑽を続けられるドライバーです。

その4人の中で、ガスリー選手は最もホンダとの関係が長いドライバーです。F1の下位カテゴリーであるGP2(現在のF2)を2016年に優勝したものの、翌年のF1のシートが決まらず、その代わりに2017年に日本のスーパーフォーミュラに参戦したところからホンダとガスリー選手との関係が始まります。

日本のレースでの戦いぶり
当時の私はスーパーフォーミュラも担当していたのでその際に初めて彼に会いましたが、その時の印象は「非常に意志が強く、夢の実現のためにできることは何でもしようとするドライバー」ということでした。話をすると「スーパーフォーミュラで何が何でも結果を出し、翌年必ずF1ドライバーになってやる」という彼の意志をとても強く感じました。

とは言え、欧州の若手ドライバーの中で随一の才能を持った彼であっても、百戦錬磨の日本のトップドライバーが集まるスーパーフォーミュラでチャンピオンになることは容易ではありません。初めて走るサーキット、初めて乗るマシン、タイヤの特性なども全く異なる中で、欧州から来た新人が結果を出すことは非常に難しい環境でした。

当時21歳のガスリー選手もその部分はよく理解しており、その差を埋めるために、例えば「下位のカテゴリーのマシンでもいいので、サーキットで練習走行をさせてほしい」という要望を私たちに出したり、積極的にチームメイトの走りを研究し、そこからいい部分を学んでいくといった努力を重ねていきました。

開幕当初こそ苦戦したものの、尻上がりに成績を上げ、終盤には2勝を含む3戦連続表彰台。結果として、最終戦が台風でキャンセルされたこともあり、わずか0.5ポイント差でチャンピオンには手が届きませんでしたが、その確固たる意志とひたむきさは当時から印象に残っています。

非常に明るくオープンな性格でもあったので、チームのメンバーやファンなど、みんなに愛されるドライバーであったこともよく覚えていますね。単身日本に乗り込み、決して楽な戦いではなかったと思いますが、あの1年間を通して日本人やホンダとのコミュニケーション、仕事の進め方などを覚えていってくれたとも思います。

F1でも、ともに歩みを進めたホンダとガスリー選手
2018年からはガスリー選手はトロロッソのドライバーとして、今度はF1を舞台に私たちと一緒に戦うことになりました。その年のハイライトとなったバーレーンGPでの4位入賞を獲得してくれたのも彼ですし、チームとホンダが一緒に成長していく中、その中心にはいつもガスリー選手がいました。

翌年、2019年のレッドブル・レーシングへの移籍に際しては、フェルスタッペン選手という現代F1で最高のドライバーの隣でもちゃんとやっていけるだろうと、個人的には思っていました。実際にはウィンターテストからうまくかみ合わないシーズンが続き、シーズンを半分終えたサマーシャットダウンのタイミングで当時トロロッソにいたアルボン選手とチームを入れ替えることが発表されてしまいました。

レッドブルで戦っているときはあまり明るい表情も見られず、もがいている彼を見るにつけ、何とか頑張ってほしいと思っていただけに、私としても辛い思いでした。当時のホンダ側のガスリー選手の担当エンジニアは、2018年のトロロッソ時代から一緒に戦ってきた湊谷(みなとや)エンジニアでしたが、二人が当初からとても密にコミュニケーションをとりながら、互いに強い信頼関係を築いているところを見てきました。フェルスタッペン選手が優勝を果たす隣で、二人で苦しい戦いを続け、なんとか改善するために試行錯誤を続けてきていたことも知っています。

湊谷エンジニアはその後レッドブルに残り、現在はアルボン選手の担当をしていますが、ガスリー選手と一緒にF1キャリアを歩んできた彼にとっても、今回の勝利はとても感慨深いもがあったのではないかと思っています。

努力が実った姿に感動
2019年夏のトロロッソへの復帰以降、調子を取り戻したガスリー選手は、劇的な展開となったブラジルGPでフェルスタッペン選手との1-2フィニッシュを果たします。あの時はまさか今年、表彰台の真ん中に立つことになるとは思いもしませんでしたが、一方で今年の彼からは何かをやってくれるのではという予感もしていました。

今年の初め、当初の開幕予定時にオーストラリアで話をしたときにはとても力強い目をしていて、すごく体が引き締まっているのも印象に残っていました。オフの間にとてもいい準備をしてきたんだと思います。それ以外にもメッセージをくれたりということがあったのですが、節々で今年にかける強い想いを感じましたし、レースで会うたびに強くなっているようにも思っていました。

個人的には、4人のドライバーの中でも特にポジティブで、前に進む力強さを彼から感じていました。毎戦、彼の今年に懸ける想いが伝わってきていて、調子のよさも見えていたので、毎回レースを見るのが楽しみでした。今回のように勝利を掴めたところを見ていると、「ああ、彼の努力がようやく報われたんだな」という想いがあり、本当に言葉では表せないくらいの喜びを感じました。

挑戦を続ける意味を体現
社長の八郷がレース後のコメントで触れていましたが、苦境にあってもチャレンジを続け、それを乗り越えて行くガスリー選手の生きざまは、ホンダのチャレンジ精神とも通じるところが多いと感じています。そういった部分でも、今回の勝利は我々が一緒に挑戦を続けている意味を、改めて体現してくれたと思っています。

SNSなどでファンの皆さんの反応を見ていると、この勝利を喜んでくれている方がとても多く、きっと皆さんも同じような気持ちなんだろうなと思っています。とても応援したくなるドライバーですし、一人たたずむ表彰台での姿も本当に感動しました。

少ししんみりしてしまいましたが、今週末をはじめ、まだまだレースは続きます。これで終わりというわけではありませんし、チームもドライバーも、そして我々ホンダも、さらなる高みを目指して戦っていきます。

皆さん、これからもガスリー選手をはじめ、アルファタウリやレッドブル・レーシング、そしてホンダへの応援をよろしくお願いします。

今回は本当にありがとうございました。そして、おめでとうございました!

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カテゴリー: F1 / ホンダF1 / トロロッソ / F1イタリアGP / スクーデリア・アルファタウリ