ハースF1チーム代表 小松礼雄 「日本で確実にF1人気が戻ってきている」

先週末、鈴鹿サーキットでは完売となったチケットを手にした観客の前でF1レースが開催され、3日間の総入場者数は26万6000人と、昨年から4万4000人増加した。これは、フェルナンド・アロンソがルノーで5番グリッドからレースを制した2006年以来、日本グランプリにおける最高記録となった。
チケットの売り上げは、角田裕毅がホンダエンジンを搭載したレッドブル・レーシングに昇格したことで後押しされ、角田はグランプリ前の東京でのショーランでもレースを宣伝した。
日本最大の企業であるトヨタも、小松礼雄のハースF1チームのテクニカルパートナーとして今年F1に復帰したことを受け、鈴鹿のファンゾーンに大々的に出展した。
また、今週末のプログラムに新たに加わったのは、ル・マン24時間レースの優勝者である平川亮で、彼は最初のプラクティスでアルピーヌのF1マシンを運転し、地元のファンに2人のホームドライバーを応援する機会を提供した。
昨年からハースF1チームの指揮を執るようになった小松礼雄は、2010年代に長い低迷期を経て、母国でF1人気が回復しつつあることを喜んでいる。
「日本がF1人気をリードする国かどうかはわかりませんが、確かに日本でのF1人気が低迷した時期を経て、確実に人気が戻ってきていると思います」と小松礼雄は語った
「繰り返しになりますが、今年の、あるいは昨年、ローラン・メキースが言ったように、裕毅が成し遂げたことは誰の目にも明らかな大きな飛躍でした。日本人ドライバーである彼がトップチームの一員としてレースに参加することは、これまで一度もなかったことです。これは非常に大きな話題であり、日本では再び大きな盛り上がりを見せています」
「平川選手は非常に優秀なドライバーであり、FP1で走ったことも、すべてが役立っています。また、春に日本でF1レースが開催されることも、プラスに働いていると思います。要因は一つだけではありません。
「東京でのイベントは大成功だったと聞いています。そういった一つ一つの要素がすべてカウントされ、ポジティブな兆ししか見えません。本当にワクワクする時代ですね。」

1976年に東京で生まれた小松は、2000年代初頭にBARのタイヤエンジニアとしてF1でのキャリアをスタートし、その後ルノーに移籍してロマン・グロージャンと親密な関係を築いた。
2016年にグロージャンとともに新設されたハースF1チームに移籍し、トラックサイドエンジニアの役割を担った。
2024年1月、オーナーのジーン・ハースがギュンター・シュタイナーとの契約更新を見送ったことを受け、チーム代表に就任することが発表された。
「子供の頃にF1に興味を持ったとき、両親以外の誰もが僕に『そんなバカなことを考えるな。絶対に成功しない』と言いました」
「私は誰の言うことも聞きませんでした。ですから、私のアドバイスは『できない』と言う人たちの言うことを聞かないことです。自分の人生をそれに捧げ、努力を惜しまなければ、たいていのことはできると思います」
「ただ、最初のステップが一番難しいということだと思います。でも、夢をかなえるためには、その最初のステップを踏み出す勇気を持ってほしいと思います。なぜなら、私にとって、たとえ失敗したとしても、挑戦することにはある意味で意味がないからです」
「全力を尽くせば、たとえ当初の目標に到達できなかったとしても、そこから何かを学ぶことができます。そして、人間として、その経験を次の人生のステージで活かすことができるのです。ですから、どうか、その最初の一歩を踏み出してください」
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