フェラーリ F1イタリアGPで青に変身:ハミルトンとルクレール特別カラー着用
フェラーリといえば赤。だが今週末のホームレース、F1イタリアGPではルイス・ハミルトンとシャルル・ルクレールが赤ではなく「青」を身にまとう。もちろんこれは初めてのことではなく、歴史を振り返ればいくつもの例がある。

フェラーリはモンツァに先立ち、ドライバーが青いユニフォームを着用した最初の写真を公開した。これは2024年マイアミGPでも見られた光景だ。

70年にわたるフェラーリとアメリカの関係を記念し、フェラーリはかつて使用していた「アッズーロ・ラ・プラタ(明るい青)」と「アッズーロ・ディーノ(濃い青)」を復活させた。前者は1950年代にアルベルト・アスカリが着用した色であり、後者は1974年にクレイ・レガツォーニとニキ・ラウダが使用した色だ。当時はメカニックも青いツナギを着ていた。

一風変わったフェラーリの姿はこれが初めてではない。2023年末のアメリカGPでは、ルクレールとカルロス・サインツが往年のデザインを模した赤と白のマシンに乗った。さらにモンツァ2023では、ル・マン復帰50周年を記念して黄色を取り入れた特別カラーを採用。ル・マン24時間レースでフェラーリ499Pが勝利した直後のことだった。マシンには黄色の差し色が施され、ルクレールとサインツのゼッケン番号も黄色に塗り替えられた。ドライバー用の特別スーツやヘルメット(ルクレールは黄色、サインツは黒)も用意された。

実は2022年のモンツァでもフェラーリは黄色を取り入れていた。創業75周年を記念し、創業地モデナの色である黄色をデザインに採用したのだ。この黄色はフェラーリのエンブレムにも背景として使われている。

歴史をさらにさかのぼると、1964年のアメリカGPとメキシコGPでフェラーリは青と白のマシンを走らせた。当時ジョン・サーティースがドライブしたフェラーリ158は赤ではなかった。理由はエンツォ・フェラーリと国際自動車連盟との対立にある。新型マシン250 LMのホモロゲーションを巡ってイタリア自動車クラブ(ACI)と衝突したエンツォは、抗議の意味を込めて赤を放棄。アメリカとメキシコではフェラーリの代理チーム「NART(ノース・アメリカン・レーシング・チーム)」が参戦し、マシンは青と白に塗られた。結果として、サーティースはメキシコGPでワールドチャンピオンを獲得したが、そのマシンも赤ではなかった。

この騒動の背景には、1962年にさかのぼる250 GTOのホモロゲーション問題がある。100台の生産が必要とされる中、フェラーリは台数を満たせず、巧妙な手口で審査員を欺こうとしたと伝えられている。この伝説的エピソードは真偽不明ながら、フェラーリの歴史の一部として今も語り継がれている。結局、ACIは250 LMの承認を拒否。激怒したエンツォはライセンスを返上し、フェラーリは一時的に赤を捨てるに至った。

その後、1965年に和解し、フェラーリは再び伝統の赤に戻った。こうして「赤」のイメージが確立したが、フェラーリの歴史にはこうした異色のカラーリングも確かに刻まれている。

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