クルサード 「シューマッハの“ナンバー2”としてフェラーリF1移籍を拒否」
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クルサードは1996年から2004年にかけてマクラーレンで13勝を挙げるなど、F1での成功のほとんどを手にした。しかし、ミハエル・シューマッハとともにスクーデリア・フェラーリに移籍する可能性もあったかもしれない。
ポッドキャスト『Formula for Success』に出演したクルサードは、当時フェラーリのF1チーム代表だったジャン・トッドとチーム移籍について話し合いの場を持ったことを明かした。
最終的にクルサードは、コース上でシューマッハが後ろにいた場合、シューマッハの代わりに移動しなければならない「ナンバー2ドライバー」にはなりたくなかったため、これを拒否した。
「パリのジャン・トッドのアパートで会い、フェラーリでドライブする可能性について話した」
「そして、提示された契約について覚えているのは、基本的にナンバー2契約だったということだ。今では私のキャリアについて誰が結論づけても構わないが、当時の私はまだ、機会均等以外の何ものにもサインするつもりはないと感じていた」
「もし私が4番手を走っていて、マイケルが5番手だったら、私はポジションを移動しなければならなかった。それにサインすることにどうしても同意できなかった」
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クルサードはロン・デニスが伝説的なフィンランド人ドライバー、ミカ・ハッキネンとともにマクラーレンで「平等な機会」を与えてくれたことを称賛した。
「ロン(・デニス)とマクラーレンのおかげだ。彼らが僕に提示した契約は常に平等なものだった」とクルサードは付け加えた。
「チーム代表の指示を受け入れなければならないという条項もあったけれど、どんな状況であろうと、大まかに言えば、僕は公平かつ平等にチャンスを与えられていた。
「そして、どんな状況であってもチーム代表の指示を受け入れなければならないという条項はあったが、大まかに言えば、自分のスキルをどれだけ高められるかを試してみる公平で平等な機会が与えられていた」
「だから、マクラーレンでの9年間に話したのは、本当にあのチームだけだった」
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