アンドレア・キミ・アントネッリ 父は当初レース反対「走らせたくなかった」

現在メルセデスのドライバーとしてF1選手権をリードする19歳の躍進の裏には、モータースポーツの厳しさを知る父の葛藤と、それを乗り越えた本人の強い意志があった。
父の経験が生んだ慎重な判断
アントネッリはBBCの取材に対し、自身がモータースポーツに関わるきっかけが父にあったと語った。
「父のおかげだ。父自身もレーシングドライバーで、今もそうだし、長年自分のチームを運営している。その影響で僕はモータースポーツの世界に入った」
「とても小さい頃から父のレースウイークエンドに一緒にサーキットへ行っていたし、そこで情熱が芽生えた」
しかし、その環境とは裏腹に、父は当初、息子の参戦に否定的だった。
「正直に言えば、最初はレースをさせたくなかったみたいだ。モータースポーツが素晴らしい一方で、とても厳しい世界だと分かっていたからだ」
「父自身もその厳しさを経験しているし、僕がその影響を受けてしまうことを望んでいなかった。困難な時期に大きく落ち込んでしまうことを避けたかったんだと思う」
情熱が父の考えを変えた瞬間
それでもアントネッリの意思は揺るがなかった。
「僕が本気で取り組んでいるのを父は見ていた。無理にやらせる必要はなかったし、むしろ僕の方がやりたいと強く思っていた」
「それを見て、最終的にはレーシングドライバーになるだろうと理解したんだと思う」
父の反対は次第に理解と支援へと変わり、その後のキャリアは一気に加速していく。

ミナルディとの出会いが転機に
カートでの活躍をきっかけに、アントネッリは重要なチャンスを掴む。
「すべてはミナルディ・ファミリーのおかげで始まった。僕のことをトト・ヴォルフに伝えてくれたんだ」
「それでトトが興味を持ってくれた」
「2017年の終わりにジュニアプログラム責任者のグウェン・ラグリューが来てくれて、ポテンシャルを確認し、アカデミーに入ることを決めた」
その瞬間は今でも鮮明に記憶に残っているという。
「父と車に乗っている時にトトから電話がかかってきた。その場でアカデミー入りの話を聞いたんだ。本当に特別な瞬間だった」
“キミ”ではなく“アンドレア・キミ”である理由
現在はメルセデスで戦い、中国GPと日本GPで勝利を挙げるなど、すでにトップドライバーとしての地位を築きつつあるアントネッリ。
一方で、自身の名前についても強いこだわりを持っている。
「アンドレア・キミ・アントネッリという名前は少し長いけど、みんな“キミ”と呼ぶ。それはモータースポーツ界でよく知られた名前だからだと思う」
「チャリティー用のボックスを作った時、最初は“キミ・アントネッリ”と書く予定だったけど、僕は“アンドレア・キミ・アントネッリ”にしてほしいと頼んだ」
「もちろんキミとして知られているけど、フルネームも大切だと思っている」
「レースの世界ではキミと呼ばれるけど、それは問題ない。ただ家では親しい友人たちはアンドレアと呼ぶ」
父の慎重さから始まったキャリアは、本人の揺るぎない情熱によって道を切り開いた。その歩みは、家族の理解と支えがいかに重要かを示すものとなっている。
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