アルファタウリF1代表のフランツ・トスト 「トロロッソ時代のファエンツァは熱狂的だった」
レッドブルのジュニアチームを18年間にわたって率いてきたフランツ・トストが、2023年限りでF1の第一線を退く。

フランツ・トストは先日、F1からの引退を発表し、レッドブルのジュニアチームの新時代に向けてアルファタウリの指揮をピーター・バイエルとローラン・メキースに引き継ぐことになった。

トストはレッドブル・レーシングのクリスチャン・ホーナーに次いでF1で2番目に長くチーム代表を務めているが、その任期は今年のアブダビGPで終了する。イギリスGPの前夜、PlanetF1.comのインタビューに応じたトストは、F1チームの指揮を執ってきた18年間の変化を振り返った。

フランツ、あなたはチーム代表としてF1パドックを去るまであと数カ月となりました。その現実はもうあなたにも浸透していますか?
現実は、今シーズンが終われば、私はもうすぐ68歳だからやめるということだ。そろそろ引導を渡さなければならない。ピーター・バイエルとローラン・メキースというF1経験豊富な2人を見つけることができて本当にうれしい。彼らはとても良い仕事をしている。私よりもずっといい仕事をしてくれると確信している。

過去18年間は私にとって非常に興味深いものだった。私は2005年11月8日にファエンツァに来て、そこで働いていた素晴らしい人々と一緒にチームを作り上げた。トロロッソ時代のファエンツァは非常に熱狂的だったと言わざるを得まない。人も増えて楽しい時間を過ごした。最初は85名だったと思う。

それから2年後、従業員はすでに125 名になり、すべてがうまくいった。ディートリッヒ・マテシッツの哲学は非常に明確だった。彼は第二の研究開発部門を設立したくない、その必要はないと言っていたため、我々はレッドブル・テクノロジーとの相乗効果を利用した。そして第二に、若いドライバーを教育することだ。これは素晴らしくうまくいった。我々ははレッドブル・テクノロジーからすべてを得た。それが非常にうまくいき、2008年にはホームグランプリであるモンツァでセバスチャン・ベッテルとともに優勝した。もちろん、そこでは非常に感動的な瞬間だった。

しかし、我々の対戦相手は『もうやめる、このままでは続けられない』と言い出した。その後、FIA とチームはレギュレーションを変更し、listed partsを用意した。つまり、モノコック、フロントウイング、リアウイング、ボディワーク、ディフューザー、フロアを社内で設計して製造する必要があった・・・

その後、インフラを構築しなければならなかったので、その後の2~3年間は困難な時期だった。空力部門、設計事務所、購買部門、そしてもちろん生産部門も構築しなければならなかった。なぜなら、なかったからだ。チャレンジングだったが、非常に興味深いものだった。良い時間だった。マテシッツがファッション企業アルファタウリと新会社を設立したため、2020年にトロロッソからアルファタウリに社名が変更された。

その後、モンツァでピエール・ガスリーと再び勝利した2戦目も非常に感動的だった。残念ながら、今年のパフォーマンスは期待したほど良くないが、シーズンはまだ終わっていない。追いつくことができ、チームが戻ってきて、我々がいるべきコンストラクターズチャンピオンシップの中盤に戻ってくることを願っています。そうあるべきだ。」

この18年間で、あなたにとって誇りに思える瞬間は何でしたか?あなたにとって、『あれは素晴らしかった』と思える瞬間は何ですか?
ひとつの瞬間というものはない。すべてだ。だが、もちろん、非常に特別だったのは、レッドブルがセバスチャン・ベッテルとともに初のワールドチャンピオンシップを獲得したときだ。マテシッツもそこにいた。彼から電話があり、2005年に新しいチーム代表に就任するための会議があったとき、彼は「レースと世界選手権で勝たなければならない」と言っていたので、とても感動した。

その後、この勝利が現実となり、素晴らしいものだった。もちろん、チーム自体としても、モンツァでの勝利はイタリアのチームなので非常に特別なもので、イタリアGPでの優勝は非常に感動的でした。

このスポーツから身を引くという決断は、あなたにとって難しいものでしたか?
いいや、難しい決断ではなかった。はっきりしていたからね。若い頃、年上の人たちと一緒に仕事をしていたとき、『もし自分が指導的立場になったら、その席にはりつきたくない。その時が来たらやめるよう』と思っていた。というのも、若い人たちが後を継ぐ可能性を手に入れなければならないし、若い人たちは新しいアイデアを持っているからだ。

70歳になったらもうピットウォールに立つことはできないだろうということは私にとって明らかだった。これは20年前、あるいは18年前にも明らかだった。なぜなら私はそういうタイプの人間ではないからだ。チームが成功するように、チームが進歩してほしいと思っている。ピーターとローランならそれを実現してくれる思う。

あなたはF1カレンダーの拡大を声高に支持してきました。ほぼすべてのレースに参加することを期待されていることを考えると、レース数が増え続けることはあなたの決断の要因になりましたか?
いやいや、引退の決定はレース数やピットウォールにいるかどうかとは何の関係もない。去るという決断は、70代に近づき、これ以上新鮮な気持ちでいることができず、変化やチームとF1の新たな戦略に対してオープンではいられないと私が確信しているからだ。

これは非常にスピードの速いビジネスなので、常にスイッチを入れておく必要がある。だから、年配よりも若い人のほうが自然とスイッチが入っていると思う。一度言ってしまえば、それで終わりだ。さようなら。

チームが常にレッドブル・レーシングの支配下にあり、あなたの意思決定がそれに影響されていたことは、あなたにとって不満でしたか?もっと自由なほうがよかったですか?
いや、そういう不満はない。これがマテシッツが私に期待していたことだからだ。決してフラストレーションではなかった。彼は『いいか、若いドライバーたちを教育してくれ』と言っていた。ここではその逆だ。ドライバーがレッドブル・レーシングにステップアップし、彼らが成功したときは本当に満足した。

ベッテルがレッドブルで初めてチャンピオンシップを獲得したとき、本当にうれしかった。なぜなら、このドライバーはトロロッソのチームを経てきたからです。マックスもトロロッソからスタートしたので、彼がレースに勝ってチャンピオンシップを獲得したときも嬉しかった。あるいは、カルロス・サインツがフェラーリで勝ったり、ピエール・ガスリーがアルピーヌで勝ったりすれば、それはチームが良い仕事をしたことを示している。

他のチームに移籍したいと思ったことはありますか?
いや、ないない。他チームからたくさんのオファーを受けた。だが、まず第一に、忠誠心は私の人生哲学において重要な要素だ。第二に、新しい建物であろうとそれ以外のものであろうと、私は常にチームに関する重要なプロジェクトに関わっていた。離れたくなかった。そしていつもとても興味深い時間だった。常にやるべきことがたくさんあるので、この時間を一分も逃したくなかったし、決して退屈ではなかった。

セバスチャン・ベッテルとマックス・フェルスタッペンというトロロッソ出身のワールドチャンピオンがいます。他に目立った才能があったのは誰ですか?
多くのドライバーが本当にとても素晴らしかった。セバスチャンとマックス以外では、カルロス・サインツも素晴らしい仕事をした。ピエール・ガスリー、ダニエル・リカルド、そして今は角田裕毅もね。

ジャン-エリック・ベルニュもフォーミュラE選手権で優勝した。セバスチャン・ブエミはル・マン24時間レースで何度か優勝している。F1だけでなく、他のカテゴリーでも成功したドライバーは本当にたくさんいる。彼らと会って少し話ができればうれしいし、彼らが他のカテゴリーで勝てば満足だ。

F1はここ数年で大きく変化し、メインストリームに躍り出ました。もちろん常に人気はありましたが、F1チームの代表として比較的無名でいることも可能でした。商業的なことはさておき、あなたはF1がメインストリームでなかったころの方が好きだったのでしょうか?それとも「ロックスターのフランツ」を可能にする環境を楽しんでいるますか?
ロックスターのフランツは存在しない!でも、時代とともに進むしかない。F1は常に人気があった。

1990年代にモンツァで開催されたF1グランプリに初めて行ったときのことを思い出す。道端でティレルのトラックを見て、どこに行けばいいのかわからなくて、ただクルマでついて追いかけた。それから私は週末ずっとピットエリアにいたのだが、予選中に彼らが私を追い出そうとしたのを覚えている。それから私はロータスのボックスに行った。警察は僕がロータスの関係者だと思ったからどこかに行ってしまったんだ。しかし、その後、ロータスのメカニックがやって来て、私に腹を立てたので、私は次のボックスに行き、そして、それが続いた。自分がその真ん中にいるなんて信じられなかった。

レースではピットではなく、コース上のクルマを見たかった。私はそこにいて、スタートを見て、それからクルヴァ・グランデまで走った。それからレスモ1と2、アスカリ、パラボリカまで走って、レースの終わりにスタート・フィニッシュラインに戻ってきた。イタリアのファンにとって、これは初めてだった。彼らはフェンスを切ってくれて、そこから入った。私は優勝セレモニーに立っていたが、警察がすごく怒っていた。彼らは馬と一緒に来た。たくさんの人がいて、彼らにチャンスはなかった!モンツァでの初グランプリは面白かった。

でも、今はもうこんなことはできない。そうだね。F1は変わった。でも、私が言いたいのは、あの時代もグランドスタンドは満員だったということだ。モンツァは満員だった。今だって、グランドスタンドは満員だ。

「しかしもちろん、すべてがより商業的になっている。だが、これは25年前の話だし、時代が違った。もちろん、今は時代に合わせなければならない。当時も好きだったけど、違う今も好きだ。

「F1が商業的な側面から、世界中のビッグプレーヤーにとって興味深いものになっているのはいいことだ。だからレベルが高く、収入も高く、関心も高い。それは良いことだし、スポーツにとっても良いことだ。

フランツ・トストの今後は?ピーター・バイエルとローラン・メキースへの引継ぎがあるのは明らかですが、その後は?山の中に消えて、完全に姿を消すのですか?
まったく静かな引退だ。[消えてしまうかどうかはわかりませんが、確かに静かです。確かに。劇場も何もない。

引退後のポジションとして、ヘルムート・マルコのような役には誘惑されることはなかったですか?
ノー! ノー・・・

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カテゴリー: F1 / スクーデリア・アルファタウリ / トロロッソ