アレクサンダー・アルボン 「F1復帰が決まるまでプランBの交渉をしていた」
アレクサンダー・アルボンは、ウィリアムズとのF1復帰に合意するまで、フォーミュラEもしくはインディカーへの転向について水面下で交渉を進めていたと明かす。

アレクサンダー・アルボンは、2019年シーズンに先駆けてレッドブル・ファミリーに復帰し、ジュニアチームのトロロッソでF1デビュー。堅実なパフォーマンスが認められ、シーズン途中にピエール・ガスリーと入れ替えでレッドブル・レーシングに移籍した。

しかし、ピエール・ガスリーよりも多くの時間を与えられたが、アレクサンダー・アルボンは同じように成績不振に苦み、レッドブルは最終的に2021年シーズンにセルジオ・ペレスの起用を決定。アルボンはテスト兼リザーブドライバーに降格となった。

2022年のレッドブル・レーシングおよびスクーデリア・アルファタウリには空席がなかったため、レッドブルはアレクサンダー・アルボンのグリッド上で他の場所を見つけることに着手。最終的にウィリアムズのF1シートを確保した。

アレクサンダー・アルボンは、2022年シーズンに向けて準備を進めており、シルバーストンで行われたウィリアムズの2022年F1マシン『FW44』のシェイクダウンで新車をサンプリングした。

しかし、F1のチャンスが開かれなかった場合に備えて、アレクサンダー・アルボンはフォーミュラEのチームといくつかの話し合いを行い、インディカーも彼のレーダーに乗っていたと明かす。

「2021年は、レースをしていた他のどの年よりも実際に忙しい年だった。信じられないほど奇妙なことだけど、ハングリー精神がそこにあった」とアレクサンダー・アルボンはGPFansに語った。

「もちろん、シートを確保できるかどうかはタイミング次第だし、多くのことが関わってくるものだけど、僕サイドでは、すべてをそれに向けていることることを分かっていた」

「F1にいることはプランAだった。その時点でウィリアムズはプランAAだったし、プランB、プランCもそこにあった」

「インディカーを見に行ったし、フォーミュラEのいくつかのチームとも話をした」

わずか20シートしかないF1でそのうちの1つを確保することは非常に難しい作業であるため、アレクサンダー・アルボンは他の選択肢でドアを閉めないことが重要だったと述べた。

しかし、2021年シーズン途中からウィリアムズF1でのチャンスが開かれた。ジョージ・ラッセルのメルセデスF1昇格が舞台裏で進行していた時期だ。

アレクサンダー・アルボンはウィリアムズとレッドブルのチームプリンシパルであるクリスチャン・ホーナーおよびドライバープログラムのボスであるヘルムート・マルコが契約を締結してくれたことに感謝の意を表した。

「もちろん、論理的な意味で、何が起こるかわからないので、これらのことを覚えておく必要がある」とアレクサンダー・アルボンは説明した。

「マッケーットは非常にトリッキーなので、選択肢を開いたままにしておく必要がある」

「プランAは明らかに自分の心の中で最も強いものであり、プランBとプランCをはるかに上回っていた。でも、幸いなことに、シーズン中盤にかけて、状況は良くなり始め、話し合いが始まった」

「それはクリスチャン(ホーナー)と(ヘルムート)マルコだけでなく、ヨースト(カピート)とウィリアムズのみんなにも大いに感謝している。僕たちはそれを実現させた」

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カテゴリー: F1 / アレクサンダー・アルボン / ウィリアムズ・レーシング