角田裕毅、真価を問われる2年目 「言い訳は通じない。結果を求めていく」
アルファタウリF1の角田裕毅が、ルーキーシーズンを振り返るとともに、2年目となる2022年シーズンについての豊富を語った。
昨年、7年ぶりの日本人F1ドライバーとしてアルファタウリF1でデビューを飾った角田裕毅は、開幕戦バーレーンGPで9位入賞という好スタートを切ったが、その後はクラッシュなどのミスが多発し、次第に自信を失っていく。
だが、チームの拠点となるイタリアへの転居、チームメイトのピエール・ガスリーというお手本、そして、アレクサンダー・アルボンがコーチ役についたこともあり、後半戦は自信を取り戻し、最終戦F1アブダビGPでは自己ベストとなる4位入賞でシーズンを締めくくった。
2021年シーズンを振り返り、角田裕毅は「一言で言うと学びのシーズンでした」と振り返る。
「4歳からレースをやってきて、初めてこんなに苦戦するレースが続いたシーズンでした。葛藤しながらも学ぶことが多かったです」
「プレシーズンからいい感じで、開幕戦バーレンGPではポイントを獲り、ペースも良かったので、F1をやや甘く見るようになっていました」
「ヘルムート・マルコ(レッドブル モータースポーツアドバイザー)さんいも表彰台を狙っていけと言われました。自信を持ちすぎていた部分もあって、第2戦の予選でクラッシュしてしまいました」
「その結果、自信がどんどん失っていき、負のスパイラルにどんどん陥っていきました。クラッシュしないように言われていましたし、クラッシュするたびに自分が乗れる時間が削られていくので、将来的にも良くないので、少しペースダウンしながら、クラッシュしないことだけを心がけて走っていました。クラッシュはなくなったんですけど、そのぶんだけペースは遅いですし、チームにとって良い結果を出せないということが続いてしまった」
「何かを変えなければいけないときに、トルコGPでシャシーを変えるということになり、そこから負のスパイラルを変えることができました。さらにアルボンをコーチ役に就けてもらじ、そこから少しずつですけどアプローチを変えて、F1やレースウィークに対する考え方も変わっていって結果も少しずつ良くなっていきました」
「ハイライトだと思っているのはブラジルGP。結果的には良くなかったんですけど、フリー走行1回目の後すぐに予選という流れでしたが、最初から飛ばすことができて、惜しくも予選3回目には行けませんでしたが、今まで感じていた負のスパイラルが少しずつ消えていった感じがしました」
「最後の2戦のサウジアラビアとアブダビでは良い結果を残すことができました。特にアブダビはホンダ最終年ということもあって結果を残したかった。ホンダさんへの感謝を胸に4位で終われたので、本当に良かったと思います」
「アブダビでは、開幕戦で持っていた自信をさらに超えることができましたし、クルマへの理解を本当につかみ取ることができず苦戦したんですけど、負のスパイラルから抜け出したことで、今年に向けて良い感触で終えられた最終戦だったかと思います。アップダウンもあり、かなり厳しいかったですけど、逆にほとんどのシチュエーションを経験できたので良かったと思います」
チームメイトのピエール・ガスリーは、110ポイントを獲得してランキング9位というチームのリードドライバーにふわさしい活躍をした。角田裕毅はガスリーが“良いお手本”になったと語る。
「彼は昨シーズンで4シーズン目を迎えていて、経験があるドライバーです。開幕戦からレースウィークの過ごし方が違っていました。周りの人やチーム全員を巻き込んで競争力を向上させていました」
「序盤は僕も分かっていなかったということもありますが、サーキットにいる時間は彼よりも短かった。そうしたこともあり、何かを変えないといけないと感じたときに彼を真似てみようと思いました。彼と自分のドライビングの違いもロガーで見ることができるし、彼がレースウィークをどう過ごしているのかなどを参考にしました」
「自分自身として、負けず嫌いで頑固なところもあって、他人を真似ようとか思わなかったですが、結果を見ればそうせざるを得ない部分がありました。ガスリー選手は自分をレベルアップしてくれた存在です」
2021年も新型コロナウイルスの影響でF1日本GPは2年連続で中止に。ホンダF1とともに鈴鹿サーキットで凱旋レースをすることは叶わなかった。
「鈴鹿での日本GPは一番楽しみにしていたので本当に残念でした。日本のファンの前で走ることが夢でしたし、2012年に小林可夢偉選手が日本GPで表彰台を取ったときには自分もそこにいて憧れていました。そういうことをいつか自分も鈴鹿でしたいと思っていました」
「また、鈴鹿サーキットは一番走ったコースだ。鈴鹿のレーシングスクールに入ったときも一年間ずっと走っていてました。自分の性格的には飽きやすいですがが、鈴鹿に関してはまったく飽きない。今年開催できればうれしいと思っているが、お客さまの安全も大事なので、いろいろ状況がよくなって今年は鈴鹿で走れることを願っています」
2年目となる2022年シーズンは、レギュレーション変更によってF1マシンは大きく様変わりする。
「2022年のマシンは、まだまったく分からないです。どれくらい競争力があるかは言えないですし、想像もできないです。ただ、18インチタイヤになって大きく変わったんじゃないかと思います」と角田裕毅は語る。
「とにかく動きがシャープになって、リアクティブというかハンドルを曲げた瞬間に動くようになりました。オーバーテイクを増やすように設計されたクルマなので、ダウンフォースはどうしても去年よりは低いので、特に高速コーナーにかけて去年のクルマよりも滑りやすいというか、グリップが少ないなと感じました。ただ、リアはけっこう滑ったりするんですが、18インチタイヤはコントロールしやすいなと思いました」
「タイム的には遅くなると思うんですが、ボクが乗っていたF2に近いんじゃないかなと感じました。今、イタリアでは24時間のシフト体制で毎日マシンを作っているので、競争力に関してはチームに任して、あとは自分のパフォーマンスを上げるように集中していきたいと思います」
2022年の抱負について角田裕毅は「2022年は自分だけでなくチーム全体とってチャレンジの年になります」と語る。
「今シーズンはルーキーイヤーではなく、言い訳も通じないので、結果を求めて毎戦、毎戦死に物狂いで戦っていきたいです」
「マシンのパフォーマンスを最大限引き出してポイントを獲っていきたい。そして、今シーズンは日本GPで日本の皆さまの前で戦えることを祈っています」
カテゴリー: F1 / 角田裕毅 / ホンダF1 / スクーデリア・アルファタウリ
昨年、7年ぶりの日本人F1ドライバーとしてアルファタウリF1でデビューを飾った角田裕毅は、開幕戦バーレーンGPで9位入賞という好スタートを切ったが、その後はクラッシュなどのミスが多発し、次第に自信を失っていく。
だが、チームの拠点となるイタリアへの転居、チームメイトのピエール・ガスリーというお手本、そして、アレクサンダー・アルボンがコーチ役についたこともあり、後半戦は自信を取り戻し、最終戦F1アブダビGPでは自己ベストとなる4位入賞でシーズンを締めくくった。
2021年シーズンを振り返り、角田裕毅は「一言で言うと学びのシーズンでした」と振り返る。
「4歳からレースをやってきて、初めてこんなに苦戦するレースが続いたシーズンでした。葛藤しながらも学ぶことが多かったです」
「プレシーズンからいい感じで、開幕戦バーレンGPではポイントを獲り、ペースも良かったので、F1をやや甘く見るようになっていました」
「ヘルムート・マルコ(レッドブル モータースポーツアドバイザー)さんいも表彰台を狙っていけと言われました。自信を持ちすぎていた部分もあって、第2戦の予選でクラッシュしてしまいました」
「その結果、自信がどんどん失っていき、負のスパイラルにどんどん陥っていきました。クラッシュしないように言われていましたし、クラッシュするたびに自分が乗れる時間が削られていくので、将来的にも良くないので、少しペースダウンしながら、クラッシュしないことだけを心がけて走っていました。クラッシュはなくなったんですけど、そのぶんだけペースは遅いですし、チームにとって良い結果を出せないということが続いてしまった」
「何かを変えなければいけないときに、トルコGPでシャシーを変えるということになり、そこから負のスパイラルを変えることができました。さらにアルボンをコーチ役に就けてもらじ、そこから少しずつですけどアプローチを変えて、F1やレースウィークに対する考え方も変わっていって結果も少しずつ良くなっていきました」
「ハイライトだと思っているのはブラジルGP。結果的には良くなかったんですけど、フリー走行1回目の後すぐに予選という流れでしたが、最初から飛ばすことができて、惜しくも予選3回目には行けませんでしたが、今まで感じていた負のスパイラルが少しずつ消えていった感じがしました」
「最後の2戦のサウジアラビアとアブダビでは良い結果を残すことができました。特にアブダビはホンダ最終年ということもあって結果を残したかった。ホンダさんへの感謝を胸に4位で終われたので、本当に良かったと思います」
「アブダビでは、開幕戦で持っていた自信をさらに超えることができましたし、クルマへの理解を本当につかみ取ることができず苦戦したんですけど、負のスパイラルから抜け出したことで、今年に向けて良い感触で終えられた最終戦だったかと思います。アップダウンもあり、かなり厳しいかったですけど、逆にほとんどのシチュエーションを経験できたので良かったと思います」
チームメイトのピエール・ガスリーは、110ポイントを獲得してランキング9位というチームのリードドライバーにふわさしい活躍をした。角田裕毅はガスリーが“良いお手本”になったと語る。
「彼は昨シーズンで4シーズン目を迎えていて、経験があるドライバーです。開幕戦からレースウィークの過ごし方が違っていました。周りの人やチーム全員を巻き込んで競争力を向上させていました」
「序盤は僕も分かっていなかったということもありますが、サーキットにいる時間は彼よりも短かった。そうしたこともあり、何かを変えないといけないと感じたときに彼を真似てみようと思いました。彼と自分のドライビングの違いもロガーで見ることができるし、彼がレースウィークをどう過ごしているのかなどを参考にしました」
「自分自身として、負けず嫌いで頑固なところもあって、他人を真似ようとか思わなかったですが、結果を見ればそうせざるを得ない部分がありました。ガスリー選手は自分をレベルアップしてくれた存在です」
2021年も新型コロナウイルスの影響でF1日本GPは2年連続で中止に。ホンダF1とともに鈴鹿サーキットで凱旋レースをすることは叶わなかった。
「鈴鹿での日本GPは一番楽しみにしていたので本当に残念でした。日本のファンの前で走ることが夢でしたし、2012年に小林可夢偉選手が日本GPで表彰台を取ったときには自分もそこにいて憧れていました。そういうことをいつか自分も鈴鹿でしたいと思っていました」
「また、鈴鹿サーキットは一番走ったコースだ。鈴鹿のレーシングスクールに入ったときも一年間ずっと走っていてました。自分の性格的には飽きやすいですがが、鈴鹿に関してはまったく飽きない。今年開催できればうれしいと思っているが、お客さまの安全も大事なので、いろいろ状況がよくなって今年は鈴鹿で走れることを願っています」
2年目となる2022年シーズンは、レギュレーション変更によってF1マシンは大きく様変わりする。
「2022年のマシンは、まだまったく分からないです。どれくらい競争力があるかは言えないですし、想像もできないです。ただ、18インチタイヤになって大きく変わったんじゃないかと思います」と角田裕毅は語る。
「とにかく動きがシャープになって、リアクティブというかハンドルを曲げた瞬間に動くようになりました。オーバーテイクを増やすように設計されたクルマなので、ダウンフォースはどうしても去年よりは低いので、特に高速コーナーにかけて去年のクルマよりも滑りやすいというか、グリップが少ないなと感じました。ただ、リアはけっこう滑ったりするんですが、18インチタイヤはコントロールしやすいなと思いました」
「タイム的には遅くなると思うんですが、ボクが乗っていたF2に近いんじゃないかなと感じました。今、イタリアでは24時間のシフト体制で毎日マシンを作っているので、競争力に関してはチームに任して、あとは自分のパフォーマンスを上げるように集中していきたいと思います」
2022年の抱負について角田裕毅は「2022年は自分だけでなくチーム全体とってチャレンジの年になります」と語る。
「今シーズンはルーキーイヤーではなく、言い訳も通じないので、結果を求めて毎戦、毎戦死に物狂いで戦っていきたいです」
「マシンのパフォーマンスを最大限引き出してポイントを獲っていきたい。そして、今シーズンは日本GPで日本の皆さまの前で戦えることを祈っています」
カテゴリー: F1 / 角田裕毅 / ホンダF1 / スクーデリア・アルファタウリ